第8回集会


 

 1月22日に「学びをつくる会」の第8回集会がおこなわれました。その報告です。 「学びをつくる会」は、3年前「深く豊かな問いを育てる学びの創造」をかかげて、集まりをもってきました。多くの教師、研究者、市民、学生、NPOの皆さんがこの議論に参加してきています。一方、教育をめぐる激動の中で、「学び」や「学力」の問題が大きな議論をまきおこしています

 

 そんな中、第8回集会は、「希望をはぐくむ学び――学力を問う――」をテーマにシンポジウムと分科会をもちました。熱心な参加者が110名を越え、真剣に考えました。特に若い参加者が多かったことが特徴的なことだと思います。

 

 

 午前は全体シンポジウムです。開会あいさつは菊地良輔さんがたちました。

 

 「今週の火曜日に、全都一斉に小5と中2全員に『学力調査』がおこなわれました。昨年末には、二つの国際的な『学力調査』の結果が発表されました。OECD(経済協力開発機構)とIEA(国際到達度評価学会)によるものです。どちらの結果も日本の子どもたちの学力が前回より下がっていることで『学力低下』の心配が増幅されています。これは日本の社会問題にもなっています。

 

 中山文科相は『がんばる子どもを応援する』といいながら『全国的な学力調査』を表明しています。競争の教育を激化するものに他なりません。

 

 東京の学力調査は、いくつかの区教委から『白紙の答案は集めなくて良い』という指示がだされたと聞いています。出来ない子どもを集計から排除し、平均点をあげるためです。市教委・区教委もテストの得点によって、成果で査定し、競争させています。

 

先の国際的な『学力調査』で、平均点が下がったのは、無答を含めて点数のとれない生徒の増加によるものです。家庭学習時間の大幅な減少ということにも階層分化、格差の拡大が大きいと思われます。勉強に意欲をもてない層、勉強する前提条件を持てない層が増えています。『学力調査』や、そのもとになっている粗雑で単純な学力観は、学力の格差・学習意欲の格差を確実に拡大していくことはまちがいありません。

 

『学びをつくる会』が掲げている『学力を問う』という課題、そして『希望をはぐくむ学び』のあり方を探求することがいっそう切実な課題になっていることをあらためて感じます。これらの危機的状況、あるいは混乱をのりこえ、展望を開くための協同をつくるためには、すぐれた実践の積み上げ、またそこから学びあうとともに、それを理論化・一般化することが必要ではないかと思います。解決すべき課題は必要な論争をも経て、ひろく一致でき、実践の土台となる理論を構築していくという『学力論』『学習論』ともいうべきものに挑まなければならないと思います。今日お集まりの皆さんとそういう問題意識を共有したいと思います。」

 

この菊地良輔さんのあいさつのあと、シンポジウムにうつりました。コーディネーターは佐藤隆さん(都留文科大学)、シンポジストは坂井ゆりかさん(葛飾区立小松南小)

 

大谷猛夫さん(足立区立東島根中)増島高敬さん(自由の森学園高校)です。以下発言順に記載します。

 

 

佐藤:ふたつの国際調査でOECDショックという言葉もうまれました。マスコミは学力低下でたいへんだとあおり、文科相は「全国学力テスト」に言及し、「総合をやめる」などと言っています。教育を知らない人物が文科相をやっているとしか思えません。学力調査の結果をみると、私たちの言ってきたことが正しかったということです。「つめこみをやれば、全体としての学力が低下する」ということです。これまでのつめこみでは通用しないのです。どんな風に子どもたちに声をかければいいのか、私たちがどんな研究をすればいいかが問われています。

 

 

 

坂井:教師になって2年目です。葛飾の小学校で2年生を担任しています。目の前の子どもたちにふりまわされる毎日です。大学の時には、理想もあったし、アイディアもありました。しかし、現実には「まわりの子どもに暴力をふるう子、学校にいきたくないと母親にしがみついてしまう子、ウソをついてしまう子」などがいて対応に苦労しています。子どもたちに考えてもらいたいことは、勉強するだけでなく、そして自分のことをするだけでなく、いろいろな友だちがいて、みんなといっしょに考えられるようになってもらいたいということです。一年生の最初は学びたいという意欲をはだで感じました。ひらがなの「つ」の勉強をすると「知ってる!知ってる!」と机がどんどん前に出てきてしまうほどです。さいきん2年生の「長さ」の勉強をしています。「30センチの長さを計る」という勉強です。自分たちの身長と手を広げた長さを計ってたいたい同じだということに気が付いていきます。そんな勉強をすると、それを家にかえってお母さんに話しています。勉強の広がりを感じます。おもしろいこと、発見すること、試してみることなどが大切だと思います。

 

 

 

 

 

大谷:足立で33年目になります。中学の社会科の教師をしています。学力調査では足立区は23区最下位、その中でも私たちの学校は低い方です。だからどうということでもありません。今中学一年生を担任しています。129人の一年生がいます。教育扶助をうけている子どもが半数以上になっています。親が欠けて子どもも数多くいます。親の経済的な困難が広がっているのです。

 

 12月に写真家の方を招いて、お話をうかがうとりくみをしました。内戦が終わったアフリカのアンゴラの子どもたちに取材し、写真をとった竹内さんです。「学びををつくる会」の前回の集会で本山さんが紹介したとりくみと同じとりくみをしました。アンゴラの子どもたちの写真をみて、アフリカの話を聞きました。子どもたちは竹内さんの話をきいて感想文を書き、私はそれを竹内さんに送りました。竹内さんから手紙がきました。その内容は「東島根中の講演は、とても困難でした。自分がこれまでに経験したことのなかったことでした。子どもたちに違和感があって、話が通じているかともどかしい思いがありました。東島根の子どもの状況は親がかけているという点では、アンゴラよりひどい、という話をうかがって驚きました。(アンゴラでは両親がいない子は1.3%、片親に欠ける子は一割と竹内さんは言いました)私はこれまで、『豊かな日本の子どもに貧しいアフリカのことを伝える』という意識でいましたが、日本の子どもたちも『みえない戦場』で戦っているのだと知りました。送っていただいた感想をみてまた驚きました。的確に感じています。自分にできることは何かというところまで考えている子もいます。表面的な態度ではなく、心から働きかければうけとめられる、ということもわかりました」という内容でした。困難を抱える子どもも学習の要求をきちんともっていて、意味のある学習を求めています。社会の矛盾とむきあう内容を提示していくことの必要も感じています。

 

 

 

 

 

増島:教師になって43年です。前半は私立の進学校にいました。後半は自由の森学園高校で教えていました。「学校の勉強はもういい」という高校生が多くいます。上層も下層もこういう子どもが増えています。上層の子は先がみえない、友達が授業料を払えずに退学してしまう、親がリストラにあう、などという状況の中で「勉強の意味」がみえないのです。Aさんは負けず嫌いな努力家で「自分が納得できるまで自分で考える」という学習姿勢を持っていました。その彼女が高校三年生の時に「学校の勉強はもういいよ」と言ったのです。そして大学の推薦入試も合格しましたが、入学式の日に英語の習熟度別組分けテストがあったそうです。大学で待っていたのが、またあの“学校の勉強”であることに対して「自分のネジをまき直せなかった」のか、悩んだあげくに退学してしまいました。

 

 高校生たちに見える前途の暗さ、新自由主義的な社会の構造改変はどう映っているのか、「一億総リーター、年収300万時代」が待ち受けているとしたら、その中で生きていくにはどうしたらいいのだろうか。勉強しても「知は力」にならないとしたら・・・。高校生たちは「自分の足で立ちたい」「人とつながっていたい」と思っています。

 

 キーワード風に言えば「学ぶことが人をつなぐ、そういう学び方、学ぶことを通してつくりだされるネットワーク能力」が求められているのではないでしょうか。自分にあった着実さで学ぶこと、言い換えれば「スロー」ということ「知は力」になるような「知」が求められています。

 

 

 

 

 

佐藤:学びの質を考えたいと思います。どんな力をつけるか、です。OECDの調査では「数学に関心がある」と答えている子どもが他の国に比較してとても低くなっています。NHKのアンケートでも「受験勉強は本当の勉強とは言えない」という割合は子どもの側でも親の側でもどんどん増えています。現状はある意味でミスマッチです。会場からのご意見をどうぞ。

 

本山(東京葛飾・中):何を知りたいか、中学3年の社会科でききました。イラク戦争の討論をしたい、百円ショップのことを知りたい、などと要求をしていきます。総合の時間では全員が自分で調べて発表しました。学力というのが、数値ではかれるものだけに歪曲されているような気がします。調べたり、表現したり、まとめたりする力も学力の総体だと思います。

 

 

 

岩辺(東京):大谷さんの学校の地域に住んでいます。娘は東島根中を卒業しました。町会の役員会でも「学力テスト」の結果が話題になります。これらの役員たちもこの中学を卒業し、残っています。中学に期待することは、ひとなみに育ってほしい、もっと意味のある教育をしてほしいということだと思います。

 

 読書のアニマシオンで全国をまわっていますが「学力の向上」ということに教委の指導部も校長も、このままでいいとは思っていません。教師自身は目の前の成果だけを追い求めて疲れ切っている状況です。

 

 

 

斉木(埼玉・小):総合学習で沖縄をとりあげました。お母さんから手紙をいただきました。「私の学生時代を思い出しました。私の青春はあわもりとオリオンビールです」という人もいました。同じ時代を生きる、学ぶことは楽しい、ということが大事です。

 

 学力低下ということで、授業時間を増やせ、とか総合を削れなどといいますが、国際調査でも「授業時間が多い国ほど学力が低い」という結果です。

 

 

 

佐藤:NHKのアンケートでは「他人に負けないように生きる」というより「のんびりと人生を送りたい」という方が増えてきているのも現状です。

 

 

 

――(富山・小):学力テストの結果を分析して、他のクラスでは何回も練習して合格者をふやしています。これでいいのかなぁと思います。自分の子どもも小学校五年生ですが「先生はやってくれないのかな」とも思ってしまいます。しかし、うすっぺらでない平和学習をしたいし、富山空襲のこともとりあげて実践しています。

 

 

 

――:18年ぶりに一年生を担任しています。子どもが学ぶ楽しさを実感しています。「ま」の字を勉強しました。子どもなりに調子をつけて、いきいき学ぶ方法をあみだし、自分のものにしていきます。どもりの子どももはずかしがらずにとりくめています。

 

 

 

菅沼(教師志望):本当の勉強とそうでない勉強があるとしたら、本当の勉強を強めていくしかないと思います。さいきん私立中学の受験もふえているようです。他者の声をしっかり聞いていくということが大切なのだと思います。先生自身が子どもの声をきいていくことだと思います。

 

 

 

浜野(練馬・小):教師の都合で授業をすすめていないでしょうか。すべての子どもにとって学びがいのある授業になっているかを考えています。子どもの声をひろいきれていないとも思います。子どもは先生の都合のよいように発言していないでしょうか。これでいいかを考える必要があると思います。

 

 

 

増島:学びの方法だけでなく、「何」を学ぶかという内容こそが大切だと思います。「方程式を解け」といわれれば、9割の子どもが解けます。しかし、文章問題になり、OECD風にアレンジした問題になると、とたんに正答率がさがってしまうのです。みたことのないよう問題にであった時、それまでの知識を使おうとします。それまでの学習も問題です。

 

 

 

大谷:今回の都教委の学力調査の問題の中に「関心・意欲」の問題として「あなたの考えにもっとも近いものを答えなさい」という問いがあり、どれも正答ともいえるものがあります。関心・意欲は点数になじみません。知識・理解を聞く問いも、その理解に至る道筋が重要です。

 

 

 

坂井:なかなか整理できないですが、自分は2年間つっぱしってきたなと思います。もうちょっとていねいに自分のやってきたことをふりかえる必要があると思いました。これからクラスの子どもたちも私と学んでどうだったのかをふりかえってみようと思います。

 

 

 

佐藤:どうもありがとうございました。時間の制限があるので、言いたいことがたくさんあると思いますが、午後からの分科会でいろいろなかたちで発言できるといいと思います。

 

 

 

ここで、若者たちのグループが「学びの輪」をつくったので、参加してほしいというアピールがありました。

 

 

 

このあと、分科会にうつりました。各分科会の報告です。

 

 

 

 ●第一分科会・「授業」●

【中学校「トランプゲーム(赤と黒)で正負の数」三井一夫先生(東京私学サークル)】

 ばばぬきと同じルールで、親が5枚、子どもに4枚配り、親のカードを次の人がぬいていきます。赤の札はプラスで、黒の札はマイナスと計算する。自分が一番多くプラスになったと思ったら、ストップをかけます。
 小・中・大の先生が混じり、ゲームを開始。最初は遠慮がちでしたが、段々と良い札を集め、悪い札を相手に渡そうと、ポーカーフェイスはでるは、アクションはオーバーになるはで、熱中しているのがよくわかり、その表情をみているだけでも面白かったです。一回ごとの勝敗だけでなく、トータルの勝敗も記録。勝ち負けに一喜一憂でした。
 三井先生の話(教えるねらい)では、ゲームに正負の数の要素が全部入っているそうで、赤と黒にわけて計算し、合計を出したりするようになる、又順位をつけることで、大小の関係もわかるとか、その他にも、各回の合計が「0」になったりするのはなぜかを考えたり、もらう時はたし算で、プラスはうれしいし、マイナスはがっかりするし、あげる時は引き算で、赤は減っていくが、黒は増えていく、黒(-)をとられると、合計が増えるなどが、実際にやっているとわかってきました。このゲームは、トランプが現実にあり、それを見ながら説明する事ができるので、(+)-(-)が(+)になるのも理解できます。参加者からは(-)×(-)の説明についての質問もでましたが、三井先生は「タイムマシン」というので説明するとのことでした。他の参加者の中では、この「トランプゲーム」で「まとめ取り」というやり方でもできるとの報告もありました。

 参加者からは、経験を共通の体験として持つことができるし、ルールが(+、-)の性質をきちんと表しているとの意見もありました。ゲームだけでなく、節目で数学的な説明をいれるべきではないか、という意見には「ここまでは理解する」確認(振り返り)の必要性があるとの話でした。又、子どもにとって参加型は発見型に結びつき、言わずにはいられないことで、想像型になり、新しいルールの確立にもつながってくるとの事でした。もう一つ、「因数分解」を(ベキタイル)を使って表す説明もありました。小学校で使っている「タイル」と同じように、ベキタイルを使うことによって、因数分解がよりわかり易くなることが理解できました。

【小学校「面積学習の入り口から普遍単位まで」佐藤正敏先生(町田算数サークル)】

 「陣取りゲーム」をみんなでやってみました。4人1組でゲームの開始。じゃんけんをやって、グー・チョキ・パーでますを取り合います。出すものによって、取れる個数が違うし、誰かが取れなくなったらおわりになるので、自分が撮る場所を考える作戦が必要になります。これも、みんな夢中になってやっていました。これは、直接比較ですが、グループ毎につくったゲーム盤で間接比較をやり、比べることでおかしい事を発見し、個別単位に結びつけ、最後普遍単位を教える事になります。その後「保存性」をやり、求積にいくそうです。参加者からは、この指導時間を確保するにはどうしたらよいのか、少人数授業でやりたい事ができないなどの話しもでました。
行田先生の話・・・ふたつのレポートは参加型であり「赤と黒」では、トランプをやる事でその計算に含まれる正負の基本的な事がわかってくる。又「陣取りゲーム」では「4段階指導」「等積変形」「公式(マスの数から長さ×長さ)」「凹凸の面積」がポイントであるとの話しでした。

 

 

 

 ●第二分科会「教師」(教師の挫折と再生)●


 「希望に満ちて出発した若い教師、いくつもの峠を越えてきたベテラン教師がいま燃え尽きていくのはなぜだろうか」がテーマの分科会である。
 報告されたふたつの話は痛ましかった。震災三年目のお母さん先生、震災半年の若い女の先生が友に自らの命を絶ったというのだ。「むずかしい問題のある学級や大変な仕事は新しく来た教師に」というおかしな風潮がさいきん多いのだが、今回もそのケースだった。加えて、悩み屋苦しみを共有せずにすべてを「あなたの責任」に置き換えてしまう管理職、がんじがらめの管理体制、その中では実践上の喜びもつらさも聞いてもらえない多忙な同僚、職場、その中で孤独に追いつめられていく教師。ふたつの報告に共通していることだった。

 同僚性の喪失、経営体と化してしまった学校、子どもたちと夢や希望を語り合えない現実など!負の面が多く出される現状でどうするのか。新任の教師が、どうかかわったらいいのかわからない子がいて悩んでいるのに「スキだらけだ」と主任から言われる。くやしくてつらいのに、自分を責めてしまうのだと語り「でも子どもはかわいい。それがあるから(学校に)でていける。」と結んだ。これは参加した教師すべての思いであっただろう。これを持ち続けるには、希望を見失ってしまった教師には、どのような支援ができるのだろうか。

 コメンテーターの児美川先生のまとめから引用する。「自分にはこれができそうだというもの(自己効力感)」を教師が持つことが教師としての尊厳を保つ上で必要な事だ。ところが現状ではやれそうもないことばかりやらされているから苦しく、つらい。互いに「教師としてこれならやっていける」というものをもてるような人間関係を作っていけることが大切だ。初任者・経験者を問わず、教師として持ちこたえられないと考えた時はそこから逃げ出すこと、SOSを発することも大事だ。退職することも選択肢だと考えたい。そして、このことは子どもたちにも教えていかないと大変なことになってしまう。
 「こうすればこうなる」というような内容でなかったのがよかったと思う。こういう会を重ねて持つことで何が問題か、何処に問題があるのかが見えてくるだろう。また、どう支援するかも見えてくると思われる。

 

 

●第三分科会「社会と子ども」●


 提起1「100円ショップはもうかるか」の授業は、スーパーでは160円のカップラーメンが仕入れ値を切ってあると驚き、全国での売上高3000億の大きさや全国1万人の従業員の中に400人しか正社員がいないと驚くクイズから、価格の内訳、仕入れ先アジアの各生産地の実態の驚きにすすみ、価格や流通や市場の仕組みがとらえられていく。

 提起2「総合学習 違いを豊かに」は、それまで性・ジェンダー・平和などの学習を包括して人権を軸に新たに構築した。自分と他者をみつめ、違いと差別を考え、互いを大切にする仕組みを考えていく。体・性・好み・考え、対立の頂点である戦争と平和を守る人たち。絵本・録画・写真・数量的資料で考えを深め、書いて読みあい、さらに考える。学級通信で父母もともに流れにそって考えていった。

 両者を通すと、次のようになろう。現代的課題や地球的課題は、学習目的が明確で生徒の実感とつながり、意欲をよぶ。また、そこには推理・想像の余地のあることが、積極的な参加・発言をよび、友だちの発言に刺激をうけて自分の思考を活性化する。それは身の回りの情報への視点をつくり、視野を広げもする。生徒のやりたい勉強と教師のやりたい授業の一致は、内容を支える話し合い、書き合い、考え合う、授業方法との一致ではじめて成り立つ。

 話し合いでは、多く同方向での自分の実践が紹介された。♯討論というより背景にある気持ちまでをも含んだ対話的話し合いを ♯学び合うというその空間を大切に ♯独り言をとりあげる ♯「学校の勉強もういい」は自分の世界の中への矮小化 ♯個々が集団の中でぶつかりあい、紡ぎ合わされる。それを仕組むのが教師。

 コメンテーターから:自分・自分たちの世代はだめだと刷り込まれてきている子ども・若者。信頼へのプロセスになれるかが、今実践の課題。100円ショップ好きな自分と100円ショップの矛盾を知ってしまった自分との繋がらない気持ちを繋がったという気持ちにどうしたらできるのか。人と人、物と物、人と物の多層レベルでの視野の広がりから違ってみえてくる。希望を失いそう、考えるのがいやになる、という思考停止から抜け出して考え続けようとする姿勢を、そしてそれを支え合う仲間をつくるのが課題。

 

 

● 第四分科会「子ども理解」●


 「教師をしていなかったら、もっと心穏やかに生活できたのではないかと思うくらい、つらいこともたくさん・・・。私にとっては正直、今が一番つらいです」教師3年目で、小学校6年生を担任している影島先生のレポートから分科会ははじまりました。

 教室では日々、子どもたちの事件や問題がおこります。クラスメイトを傷つけたり、教師に反抗したり・・・。そうした中で悩み苦しんでいる今の状況を、影島先生は率直に語ってくれました。それでも、辛いけれども、子どもたちが何を求めているのかわかりたい。子どもたちと向き合いたいと思って、卒業までの日々をやっていこうとしていることも話してくれました。

 若い先生たちからは、影島先生のレポートに共感して、自分のクラスも荒れて大変だった、自分も辛くて教師をやめようと何度も考えたという声がいくつも出されました。自分だけが力のない教師かと思っていたら、同じように悩んでいる人がいて安心した、という声もありました。同時に試行錯誤しながらも何とか前に進もうと、それぞれに実践していることもたくさん語られました。

 40人近くの参加者が集まったこの分科会。若い先生、学生を中心に、ベテランの先生、保育士、保護者など、さまざまな立場の人の発言を聞くことができました。その内容も、人を傷つけるようなことをしてしまう子ども自身が抱えている心の傷の問題、保護者との連携、同僚・教師集団、子どもをとりまく地域の大人のつながりなど、大きく広がっていきました。解しません性の悩みに共感するところから出発して、1人ひとりが自分の思いを語りあい、聞き合う、暖かい雰囲気の分科会になったと思います。若い先生への励ましやアドバイスも、やはり温かいものでした。

 一人ひとりの子どもの言動に同様したり、悩んだりするような、若い先生の「未熟さ」というものを大切にしなくてはいけない、それは一人ひとりの子どもを大切にしたいという気持ちの表れだから、という佐藤隆先生の最後のコメントがありました。そして、そうした若い先生の「未熟さ」を切り捨ててしまっている職場の現状がある、と。

 今回の分科会のような場が、どの職場にも日常的にあればどんなにいいか・・・と思わざるにはいられません。