第24回集会


 2016年1月23日、新装なった東京・池袋生活産業プラザで「学びをつくる会」第24回の集会が開かれました。あいにくの悪天候(数日前に降った雪が所々残り、この日も東京西部は雪模様という悪条件でした)でしたが、100人以上の参加で大きく成功しました。まず、午前は神奈川県の小学校教師・坂田和子さんの講演です。午後ふたつの分科会にわかれ、「学習」と「子ども」をテーマに学習を深めました。


 午前のオープニングは会の世話人・霜村三二さんのパフォーマンスから始まりました。霜村さんは、子どもとの出会いに仕える「十二月の歌」を披露し、参加者の心を温めました。

 スタートは最初のあいさつに佐藤隆さんがたち、会の初心にふれました。会の発足した2002年、子どもたちの学びからの逃走が問題になり、子どもが主体となり、学びを作り出すことをめざしました。また、学力低下が問題になって、中身を問わない学力向上運動がすすめられていたときでした。そのとき、当面3年間は活動する、と決めたのです。3年たったら、やめるということで始まった「学びをつくる会」でした。それが毎月の例会でも50人を超す参加者がでるほどになっています。若い人を不安にさせる学校状況もあります。今日一日の学びをふかめましょう。


 このあと、千葉大学の片岡洋子さんが午前の講師の坂田和子さんを紹介しました。坂田さんは全国生活指導研究会の全国研究委員会の委員をされています。

 

 

子どもが子どもとして生きられる教室へ

     坂田和子さん(神奈川・小学校教師)

  昨年うけもった6年生の話しをします。今年は1年生をもっています。23年ぶりの1年生です。男子が「トイレの水がでない」というのです。いってみると、背が低くてセンサーに届かないのです。そこで、「トイレをするときは手をかざしなさい」と言いました。
 

 昨年の6年生は冷たい感じでした。3年生のときにはかわいい子たちでした。4年生のとき、強い管理の主任に出会いました。子どもたちは管理への恨みが重なっていました。5年で担任が総入れ替えになりました。子どもたちは疲れ切っていました。卒業式のとき、在校生代表の5年生の歌声は小さくて聞こえないほどでした。反応しない、発言しない、歌わない、という状態でった。「はぁ?」「なんでオレだけ」などと言い、いじめが横行し、排除され、っぱなしできた無力化された子どもたちでした。そんな学年の6年生を担任することになりました。全体的に沈んでいる学年でした。空気が読めず「菌」と呼ばれている子、異形のものとして排除される子、「男」と「女」が同席しない、という雰囲気、こんな中での担任でした。まず学年の空気をつくっている子の声をききとることから始めました。「男」と「女」と「菌」の接点になるようなしかけを考えることとしました。子ども自身が課題をみつけられるようにしなければならないと考えました。シュウは4年で声変わりし、吃音もあり、母親からは20人ぐらいの子と同じクラスにしないでください、といわれました。クラス編成後だったので、何人かがはいってしまいました。あるとき突然「天皇陛下万歳」と叫びました。そして「昔はそういういやなことがあったんです」というのです。北朝鮮の兵隊の行進のマネをするようなこともありました。カエは5年のときに北海道から転校してきました。まわりの子とかみあわないのです。親との面接では「北海道では大丈夫といわれました」というのですが、大丈夫ではありません。通級指導をうけることにしました。タスクは「知るか、ボケ、意味わかんねぇ」を連発します。わからないことへの不安があるのです。カウントダウンカレンダーに「悔いのないように」と書きました。しかし「“悔い”ってなぁに?」と聞くのです。抑鬱傾向がありストレスをためやすいのです。ナオヤは「僕はずっと『菌』と言われてきた、というのです。空気をよめないところがあります。コウスケは毎日同じ服を着てきてとてもこだわりが強い、のです。ヒビキは毎日遅刻してきて、やる気スイッチが見あたりません。排除されて、イジメラレテきた子といっしょに「大変だったよ」というのも受け止めることです。そんなナオヤとヒビキとコウスケが交換ノートをやっていたのです。カンはジャピーノ(日比混血児)です。フィリピン人のママと右翼の父親にずっとなぐられてきました。この子はとてもアツイのです。暑苦しいほどです。このカンが都内見学のときキレました。科学博物館に行ったときです。未来館に行きました。「何が未来館だよ。過去をちゃんと見ろ」というのです。
 

 男子のリーダーと女子のリーダーを結びつけることを考えました。男子のリーダーは皆「オレ様」気取りです。女子のリーダーは皆「笑わないことを決めた」という顔をしています。これらの子を親しくするためのアイテムを考えました。運動会のとき、サッカーの川崎フロンターレの応援歌を突然皆で歌い出しました。これは共通の関心となっていました。また、別のクラスの若い担任が学年で、クラス・ピラミッドをやろうと言い出しました。そのクラスがやっているのを見て「俺たちもやろうぜ」と言い出したのです。

 授業では、クローズアップ・ザ・ニュースのとりくみを始めました。毎日ニュースをみて、それを話し合いました。ブラジルがサッカーで大敗した後に暴動がおこりました。皆が暴動はよくない、というのに、シンノスケは違う意見を言いました。ブラジルでは環境が悪化し、生活も苦しい人がいるのに、オリンピックだと言ってお祭り騒ぎしている。暴動をおこした人の気持ちはわかる、といいました。まわりの子がシンノスケのことを知った瞬間でした。総合学習では「いろいろな人がいる」ことを学びます。レンは塾で勉強してきて、学校の授業は退屈で教師にとってはイヤな存在です。クラス討論では論客になって皆をひっぱります。そんなレンはテーマによっては悩むのです。この子は難関校に皆合格し、麻布をけって栄光学園に行きました。「僕は適度な管理が必要です。自由にするのは大学からでいい」と言って進学校を決めました。震災で被災した宮城県の大川小学校を残すかどうか、で議論したとき、多くの子どもがあの校舎があると震災を思い出すからなくした方がいい、校舎があると開発のさまたげになる、と言ったとき、レンは悩んでしぼりだした結論が「校舎には思い出がある、汗や涙や血がしみこんでいるんだ。お金じゃないんだ」というのです。

 そうこうするうち、学年末に近づき「踊るからだ」「歌うからだ」を取り戻しました。最後の社会見学で国会に行きました。大騒ぎになりました。国会に近づくとだれかが「憲法改悪反対」と大声をあげ、それにみんなが唱和したのです。「原発再稼働反対」「辺野古新基地反対」「戦争法反対」などと次々連呼し始めました。「こういうのはここで言っていいんだろ」と言うのです。

 授業でもいろいろ勉強し、「もっと知りたい」ということになりました。曽野綾子というのがでてきて、ネットで曽野綾子発言集をみつけ、「だめだ、このおばさん」といいました。

 「個人の尊厳をないがしろ」にしない、ということです。「生きるに値する世界」の発見をめざし、差別や排除は大人がつくってきた、という気づきを大切にすることです。出会いを重ねて自治へつなげていきます。文化の創造です。                                                                                                              文責・大谷 猛夫)

 

午後はふたつの分科会に分かれました。その報告です。

第一分科会・学習
「別の方法があったんじゃない?」

    ~国語”泣いた赤鬼”を通して
            千葉春香


 「ないたあかおに」をワークシートに書き込む方法で授業をすすめていった。クラスは、自分のことをはなしたいと思う子が多くいて、どのようにしてまとめていこうかと考えていた。最初の感想で、子どもの考えに驚き、感動したそうだ。

 場面ごとに読み取って授業は進んだ。力を入れたのは、六の場面後半。旅立っていった青おに、そして「ないた赤おに」“なんで旅立つ必要があったのか、別の方法があったのではないかという部分で2時間議論をした。
議論の前半で、「赤鬼はひどい!」という意見を出す子がいた。千葉さんは、「友だちを利用したのだと読みとったんじゃないかな」と考えた。「お見舞いに行こうとしていた姿や赤おにはやさしいんだよ」という意見を聞き、間違いに気づいたそうだ。休み時間にも子どもたちは、議論を続けていた。

 議論の後半は、「手紙に行き先を書いてあればよかったんじゃないかな?」という意見から議論が始まった。「青おにの行き先がわかったら、せっかく仲良くなった村人と離れちゃうんじゃないかな。」という意見が数名から出てきた。「旅に行ったことを友だちなら離れないじゃないの?」等の意見も出たようです。“別の方法で、どうやったら仲良くなれたのかを考えるべきだった”という議論の流れになったようです。その中でも「青おには、成功したと思っているんだよ」という意見も出て、千葉さんを驚かせた。最後には、「大切なものをなくしてしまったので、“ないた”という気持ちになっているんだよ」という意見になった。

 授業を通して「泣いた赤おに」は道徳で使われることが多いが、2人の鬼の信頼だけなのか?と国語を通して感じた。「別の方法があったんじゃないか?みんな、仲良くなる方法はなかったのか?」話の中に入って議論できたのがよかったと感じた。

 題名と物語ということで、いろんなお話を読み聞かせたり、作者の思いを伝えることを日々行ってきたりした。最後の方の物語文で、このような議論ができたのが良かった。

 課題としては、書くのが難しい子どもたちなので、書かせることをしてこなかった。書いて交流というものをやりたいという思いを伝え、報告は終わった。
 

 質疑では、「子どもの意見が鋭いと思った。読みによっては妬みにもなる。赤鬼の心情はわかりやすい。青鬼の立場にたつことはない。青鬼の心情はわからない。ここが読みの違いがあるので、わかりやすい。赤鬼の心情を聞く発問をすればぶれない。『人間たちと仲よくとしながら、ボクは友だちだよ』という所に意味があると思う。『他の方法があったんじゃない?』というのは、本質からズレてしまったのではないか。いろんな読みが出てくるのがおもしろいと思う。」という鋭い意見も出された。

 

音楽で子どもたちの成長を支える

 ~「仲間が大好き」なゆうととの関わりから~
           加藤愛子

 3年生の時に出会ったゆうとくんとの話。1年生の入学してきた時に、幼稚園から申し送りがあった。目立ちたがり屋だが、注意されるのが嫌いな子だった。出会って最初の鑑賞の時間に「ボクは嫌だ」とパニックになった。「曲の違いは何?」等と聞くときちんと答えられるが、書かない。パニックになって、友だちを傷つけてしまうことがあり、「出て行きなさい」と大きな声で言うと、小さな声で「イヤだ」というので、教室から出すことをやめた。しかし、自分の方が感情的になっているのに気づいたので、授業は別室にした。彼は、自分はこの子よりできていないと思い込んでしまうとパニックを起こすことがわかってきた。友だちとのトラブルが多いので、音楽の中でゆうとくんのよさを出していこうと思った。

 4年生では、音楽劇をした。彼をニュースキャスターの役にした。友だちに演技をアドバイスする意欲があった。グループでもトラブルを起こすだろうと思っていたが、トラブルを起こさずに取り組めた。鑑賞もしっかり聞いて、紙にびっしり書かれていた。本番の音楽劇は、大成功に終わった。早く終わったので、ゆうとくんのお母さんにもコメントを求めると「うちの子どもが落ち着かないけど、よく頑張ったと思います」と涙ながらに話していた。ゆうとくんは、担任や加藤先生にもコメントを求めてしっかり話を仕切った。同じクラスの親からも「こんな一面があるんだ。」と思わせたそうです。

 5年生にコーラス部(中学の部活のようなもの)に入った。ここで初めて男の友だちに出会う。「仲間の性格によって支えられた。」と卒業後の本人への聞き取りによって語られている。現在は、卒業生コーラスに入っているが、指導者が加藤先生だということでもあるという。ゆうとくんは加藤先生と出会い、音楽を前向きに学習するようになり、友だちとの関係もよくなってきた。(加藤先生がつなげた)コーラス部に入ることで、男の友だちができたことも成長のきっかけとなったのだろう。

 3年生で加藤先生と出会い、自分と真正面に向かいあってくれる加藤先生と一緒に過ごす中で音楽についての魅力や友だちとの関わり方を学び成長していく実践報告でした。

 質疑では、「加藤さんが大変な性格のゆうとくんに積極的にかかわっているのはなぜか」という質問に「私は、積極的にかかわったつもりはない。他の子でも実践レポートは書ける。」と答えている。「ゆうとは、積極的にかかわってきたと思う。」とも話している。彼は加藤先生を求めていたのだろう。

 コメンテーターの中村清二さんからは、アクティブラーニングと表現の2つの話があった。

 アクティブラーニングとは、定義できない、曖昧なもの。授業づくりの指針として、コンテンツオリエンテッドな授業づくり。教科内容を経由して授業づくりに入る時代と、ラーナーオリエンテッド、学習者オリエンテッドで授業を構想するが入れ替わったのが90年代。コンテンツもラーナーも授業の要素、欠かせないもの。基礎を大事にしながら授業を考える人、子どものことを見ながら授業を考える人くらいしか違っていない。受け持っている子どもとどう授業を構成していくか考えればよい。その視点から考えると、千葉さんの考えはラーナーオリエンティドで、質疑で出た話でコンテンツオリエンテッドがあった。2つのイメージの違いがあった。授業づくりの観点で言えば、どっちでもよい。アクティブラーニングとは、子どもへの思いが入っていればアクティブラーニングであると言ってもよいのではないか。

 表現では、エモーション抜きには考えていない。表現とは、その人にも他の人にも呼び起こすものを表現というのではないか。脳科学での記憶の定着は、感情と一緒に結びついた瞬間に成立する。教師は、エモーショナルと結びつかないと使い物にならない。今日のような実践報告のように笑いながら「子どもってかわいい」「子ども、いいな」と共感しながら思ったり、教師の悩みに共感したり教育技術について考えると教師としての成長につながると思った。感情と結びついた知識の共有が後々響く。教師の表現として、共有されていく。

 加藤さんの話は、プロの演奏家としてのベースがある。トレーニングを受けているということは、技術・技能指導の重要性を感じる。それが引き出していると言えるのではないか。

 学びをつくる会では、教科の実践報告を話合う場は最近ではなかった。日々の授業を考える意味でも必要なことと考えた。                                                                                 (文責・島崎 悠一)

第二分科会・子ども理解
「教師を辞めたくなるくらい辛かったけど!

      ~一生忘れない子どもたち~」
        仲道里佳(公立小教師)


○4人の子どもとの出会いのエピソード
 まず出会った『はるくん』は、『キレると目が変わる』子どもだった。朝から目つきが違っていたり、抑制が効かずに相手が動けなくなるまでボコボコにしたりするようなこともあった。『はるノート』は、学校であったいいことを書き、つながりを持つためにつくった工夫だった。

 やさしいお兄ちゃんの『しょうくん』は、三人兄弟の長男で、小さい頃に父と死別していた。その後、内縁の父からの虐待を受けていた。児童相談所につなげることができたが、父が学校に乗り込んできたこともあった。今も状況は大きくは変わらない。

 雑学王の『しょうごくん』は、進学塾に通うよくできる子だった。理由のわからない(わかってもらえない、言語化できない)イライラをつのらせ、ひたすら物に当たったり、自傷的な行為をしたりすることがあり、深呼吸で落ち着くよう指導するなどをした。両親に思いを聴いてもらう体験がなされていないようだった。

 お話し好きの『りょうまくん』は、コミニケーション下手で、大きめの体や力を持て余し気味で、友達に不意な迷惑をかけてしまうことが多かった。難聴もあり、とかくトラブルにつながりやすかったが、本人だけでどうにかなる問題でもなかった。他者からの理解でつなぐことが大きな課題だった。このような中、仲宗根さんは「何も子どもにできていない」という思いを抱えることになった。

○わたしを支えてくれたもの
 毎日がどうしていいかわからなかったが、何でも話せると思っていた大学の同期の人たちが輝いて見え、自分のことを話そうとは思うことはできなかった。一緒に学んできたのにという思いが辛さになった。

 しかし、初任研の仲間や教育センターの指導者たちが状況を聞き取り、現場に悩みをつないでくれた。同僚が温かく支えてくれた。

○コメンテーターを務めた山﨑さんから、
「子ども一人一人と向き合い続けたところがとても大切で、でも、その中で、子どもの責任を自分で全て引き受けようとするから熱まで出したのではないだろうか。つらいときに学生時代の仲間に相談できなかったことはちょっと複雑なことだと思った。いつも、『何を大事にしようと思ったのか?』を問い返すことから始めたいと思う。」という内容を、会場の発言者の質問や意見の対話の中で語っていって、このまとめとした。

 

 

「子どもに『出会う』ということ

       ~『子ども理解』って何?」
         高原史朗(公立中教師)

○私が「子ども理解」をするスタート地点の確認
 クラス(集団)作りの前提は、子どもの見方を減点法になる可能性があるだろう「(教師側の)意図が明確な学級イメージ」を前提とした指導を考える教師になるのではない。そうではなく、私は加点法になる「子どもの実態をベースにした多様性そのままの集団づくり」を考える教師でありたい。そうでなければ、真の意味で、ありのままの子どもを理解することが叶わないと考えるということが、会場への「どちらの集団づくり指導を選択している教師なのか」という二者択一の質問を下敷きに述べられた。

○いくつかのエピソードから
 いくつかのエピソードを元に、「子どもを理解する」とは、「教師のスタンスである」という論が述べられた。

 例えば「先生の発問に、全て正答や正解の解説を答えて、ときに授業への批判を加えた私語を続け、授業崩壊させてしまう中田くん」のエピソードでは、その自分勝手な言動をよそに、その中田くんを「彼は賢すぎて本当に授業がつまらない状況にある」と考えた。そして、彼の状況に寄り添っていくことで、中田くんが授業の進行を上手に進めるリード役さえ担えるように変容していったことである。

○集団指導との関係
そうじをやらない『ゆりか』の事例が話された。『ゆりか』に注意する『しょう』に対し「『ゆりか』の事情を考えてみよう」と切り替える高原先生。『しょう』の注意の向け方の問題点をクラスで確認する中で、『ゆりか』も、そうしたトラブルを通じて、自分のとっていた態度を改めようとするのだった。

 教師の個人理解は、集団指導とどこで繋がるのかを考え続けなければならない。子ども自身は、(若干)自分にも関係があるんだと感じられる集団でないと、意味をもった集団の指導はできない。

○片岡先生のまとめ
 高原先生の説明には「(一人の)教師のがんばり」というレベルを乗り越えるためには、子ども理解やそこに内包される事情、事実、そこから生じる出来事の読み取りをを共有していくことが必要だが、子どもに向き合ったとき、読みを急ぐと解決から遠ざかることが述べられていた。

 教育12月号の城山論文を思い起こし、リコの話にも裏の事情があったことを思い出した。だから、私たち教師は、子どもの中にあるものを表現させることを重視するし、そういった事業と生徒理解や生徒指導をリンクさせている。

 今回の報告の中のエピソードから、子ども理解は、子ども同士で、または教師自身がその子どものことを発見することから始まるが、特にベテラン教師は「この出来事だ!」とつかむことができる点に注目したい。また、そういったエピソードを共有できる現場を創造していかなければならないし、そこにこそ教育の可能性がある。                                                            (文責 増田 陽)