第26回集会


 

2018年1月27日、東京池袋・生活産業プラザで「学びをつくる会」第26回の集会が開かれました。100人 を越える参加者がありました。まず、午前は兵庫県のベテラン小学校教師・大江未知さんの講演です。午後はふたつの分科会にわかれ、「学習」と「子ども」をテーマに学習を深めました。 午前のオープニングは会の世話人・霜村三二さんのパフォーマンスから始まりました。霜村さんは、子どもとの出会いに使える「リズム感あふれる」詩の紹介で、参加者の心を温めました。スタートは最初のあいさつに佐藤隆さんがたち、今の教育現場をめぐる動きについて触れました。政権与党の教師多忙化政策により、子どものため、自分を犠牲にする教師が良い教師とされ、熱心さと競争に乗せられている状況について指摘されました。学力テストや学校スタンダードがもてはやされ、もはや教育実践とは呼べないような状況を呈しています。そんななか、大江未知さんが教師はどう生きて生きてきたか、子どもとともに学びをつくるとはどういうことかを話してくださる、と思うと紹介されました。

 

 

 

子どもと生きるという仕事 失敗・葛藤・絶望の中にある希望をつかむ 大江 未知

 

 

 

阪神淡路大震災がおこった1月17日の集会のとき、弱い立場の人を大事に、といいますが、今教員評価が厳しくなってきています。教員になろうと思っていませんでした。高校生の時、あこがれていた先輩がいました。大学になりふられてしまいました。それで仕方なく教員になったのです。大学のとき何も勉強していません。授業よりも子どもと楽しく遊んでいました。子どもと一緒に楽しく一 日すごしていく、ということだけでした。

 

そんな時1990年代のはじめ、兵庫県教育委員会は人づくり懇話会なるものをつくり、5泊6日の自然教室を提案してきました。教師になって、この反対運動を必死にやってきました。自然教室粉砕を叫んでいました。自然教室を導入されたら負けだと思っていました。父母や地域に出かけていって反対の声をあげていました。 西宮は高校三原則があり、市立高校が2校、県立高校が3校あり、居住地によってそのまま子どもが進学するシステムが できていました。それをこわそうという動きもあり、これにも組合員として反対していました。今、5年生を担任しています。国語の授業で宮沢賢治の「注文の多い料理店」 を取り上げました。賢治は若くして亡くなってしまいますが、幸せだったと思います。賢治の息吹を考えてみたいと思いました。子どもたちに問いかけました。「この季節はいつだろうか」「寒い、と言っているから冬や」「何かどんより・・・と書いてあるから冬の少し前か」「けものがたらふく食べている、ので冬眠前の 秋や」などと言い合っていました。山猫軒に来て猟師は最後にどう変わっていくのか、変わらないのか、というのが教師の指導の基本だと指導書に書いてありま す。子どもたちは「紳士は変わっているけど認められへん」「こわい体験をした時にどう感じるのだろうか」などと言っていました。事後研はボロクソでした。子どもたちが自分の言葉で「山猫が教えてくれたのではないか」と言って何が悪いのでしょうか。 5年の4月の放課後に事件がおきました。難聴の子である翔ちゃんがいじめられ、泣いて家に帰ってしまいま した。放課後ドッ チボールをしてクラスで遊んでいたのです。翔ちゃんが「いれてほしい」と呼びかけてきた時、みんなは「組み分け」について話し合っていました。しかし、翔ちゃんはそのことはわかりません。そこで翼くんなどがきつい言葉をかけてしまい、翔くんは泣きながら、家に帰ってしまった、という事件です。翔ちゃんの父親が校長室にどなり込んできました。いじめた翼は停学にしろ、甘い指導をする大江をクビにしろ、というのです。この事件には前段があります。4年生の時、翔くんの人工内耳がこわれる、という事件がありました。このときは図書室掃除の件でした。その日は行事があって、図書室掃除は中止になっていくした。しかし、そのことを耳がよく聞こえない翔くんにうまく伝わっていなかったのです。翔くんは図書室に行きましたが、だれもいません。教室に戻る とみんなが楽しそうにしていました。そこで翔くんは「なんで掃除しないんだよ」 とみんなを問い詰めます。そこで乱闘がおこり、拓くんが翔くんをなぐり、その拍子に翔くんの人工内耳がこわれてしまったのです。拓くんと父親は翔くんの家に謝罪にいきました。拓の親は誠実に謝罪しました。しかし「翔くんの父親は厳しすぎる」のではないか、感じたのです。 翔くんの父親は「翔は大事にされていない」と感じていました。親同士のすれ違いがありました。さらにその前の4年の社会科見学の時です。人手不足からこの時ノートテイカーをつけられませんでした。そこで、翔くんの母親に一緒に行ってもらうことにしました。翼くんと翔くんの関係 はもっとも密接で、翔くんは翼くんを信頼しています。そこで社会見学のとき翔くんは「翼くん、翼くん」と寄って来ます。しかし、翼くんにしてみれば、母親がついてきているので「お母さんの所にいきな」とあしらってしまいます。ドッチボール事件のことについて子どもたちと話し合いました。翼くんは「翔くんは空気が読めない」と言います。そこで「むこう行けや」と言ってしまったと言いました。どうしてそうなったかを考えよう、と提案しました。 翔くんとも一緒に生きていこう、と声をかけました。翼くんたちにしても放課後の時間は貴重です。4時からは塾が始まり、2時半から4時まではすかっと遊ぶ、という貴重な時間でした。みんなでぶつかり合うかもしれない、それでも人のことを思いやれる、それでもあきらめない、ということです。学校のきまりが厳しいものです。「輝く10の約束」などという校則があります。ケシゴムで遊ばない、などというのもあるのです。子どもたちは 「ケシバトクラブ」をつくり、「これはクラブ活動です」と言って休み時間にケシゴムのゲームを楽しんでいます。「あっ、やってしもた」と思うこともたくさんあります。「もうあかん!」の繰り返しです。それでも私の中の「希望」になっているのです。

 

 

 

昼食休憩をはさんで、午後は会場がわかれました。授業・学習の分科会は南池袋ミーティングセンターで、子ども理解の分科会は生活産業プラザで、と二手にわかれての開催となりました。

 

 

 

 

 

 

 

第一分科会 授業・学習

 

 

 

第一分科会は、南池袋ミーティングルームで行われました。30名ほどの参加でした。 はじめに、長野県の若い教員が発表しました。石坂さんの初年度は、「自分の言葉が通じない」子どもたちと出会い、戸惑う一年だったと言います。彼らができないことや皆とは違うことばかりに目が向き、彼らからどんどん教室のなかに居場所を奪ってしまったと、石坂さんは語ります。しかし、そんなときに学びをつくる会に参加し、「同じでなくていいんじゃない」という言葉をかけてもらい、肩の力が抜けたといいます。同時期に石坂さんが出会ったのが、生活科の実践です。長野県のある地域では、生活科や総合的な学習がとても熱心に研究されていると言います。研究を進めるにあたって、「子どもたちが本当の姿を見せる授業を」という目指す姿が、石坂さんの語る「“わたし”の居場所がある教室にしていきたい」という姿に重なってきたそうです。 石坂さんの実践の中で一年間を通して地域の川で遊び、川の様子を体験的に学んでいく話が写真を交えて語られました。1年生の子どもたちが川を通して命一杯遊びます。所謂教室のなかの座学であったら、“困った子”“皆にお世話になる子”が、川で様々な遊びをして、その子本来の姿や以外な一面が見られていきます。 石坂さんは、それを周りの子どもたちや学級通信を通して保護者に伝え、一人一 人の居場所を教室に作っていくことができている実践でした。 次に、東京都のベテラン教師の実践が語られました。学びをつくる会世話人でもある増田さんは、クラスの具体的な子 どもの姿から、理科や国語(文学教材)の実践が語られました。理科の桜の木のスケッチでは、「“ぼく”が見たようにかく。“ぼく”が分かるようにかく。」ことが、子どもたちが書き上げたものの写真からよく伝わりました。国語教科書のとびらにある詩の授業では、その後の文学作品の読み取りにつながる「正確に読み取って表現できるようになってほし い」という増田さんの思いが子どもたちに伝わるような「読み取って、絵にかく」という活動が紹介されました。具体的な話として、「ごんぎつね」の実践が語られました。増田さんは「響き合いで読む」ということを教室の中で大事にしていると言います。所謂「よい」

 

授業として、教師の発問が良かったから、子どもたちが変わった、という話を皆さんも聞いたことがあるかもしれません。増田さんは、操作的な発問を教師がするということはせず、子どもたちの合意形成を読み取りのなかで進めていきます。ごんぎつねという教材を信じ、子どもを信じ、子どもたちの語り合い(響き合い)をつないでいく姿があったからこそ、増田さんがびっくりするような発言が出てきたり、クラスの合意形成がなされていったりしていきます。具体的な子どもの姿を語る増田さんがとても温かく、教室にいる子どもたちがいきいきと見える実践でした。まとめの報告は、相模原女子大の富田先生がお話してくださいました。石坂さんも増田さんもさりげなく報告をしていながらも、学校における状況が似ていることや、スタンダードや子どもの見方が狭まる中で、このような豊かな実践を続けていることがとても輝いているとお話されました。また、二人とも、「クラス4 0人いたら、40人の世界と交信する窓をよく見て探している」ところが共通すると言います。子どもたちは、一人一人内側から出てくる表現したいことや、このことならもっと自分が出せる、という「窓」をもっています。石坂さんも増田さんも、その「窓」を発見し、開き、そこからまたその子を見つめていくということを授業づくりの中でそして授業実践の中で大切にしているようでした。 教師は学習を進めるにあたって、到達目標をもちます。それが直接子どもの学力につながるわけではなくても、その子のちょっとした気づきを大切にし、その子の「窓」を一緒に見つめていけるような実践を私たちもしていきたいと感じる分科会になりました。

 

文責・高山はるか

 

 

 

閑話休題

 

学びをつくる会は、2002年にスタートしました。最初の第一回集会で、その結成の趣旨について、当時の世話人から報告があったことがニュースの第一号に記載されています。

 

学校5日制がスタートし、新教育課程がはじまる中で、学力問題での議論がおこっています。文部科学省が「学びのすすめ」を出すなどしているし、学力テストの実施も叫ばれています。基礎学力をつけるということで、ドリル的学習の傾向がつよまり、入試対策のための授業の傾向がうまれています。 そんななかで触発される新たな学びをつくりだしていきたい、深く豊かな総合多岐な学びをつくりだしたい、そして親や地域が求めていることを深く理解し、広く手をむすびあって、ともに教育をつくりだしたい、こんな思いで「学びをつくる会」を発足させました。

 

 

 

 

 

第二分科会 子ども理解

 

 

 

○大山 友生人(埼玉・公立小) 子どもたちが“自然体”でいられる教室 づくり

 

 

 

子どもたちが自然体でいられる教室とは、安心できる、楽しく学び合う、失敗ができる教室と考え、おしつけになっていないか、という視点をもって日々取り組んでいる。初任のころ、「こんなクラスを作っていきたい!」という気持ちを持っていたが、「ちょっとぐらいいいかな」と見逃していったことが多く、全く自分の話を聞かなくなってしまった。叱るのが苦手で、言ったら嫌われるんじゃないかと思い自分の中に一線を持っておらず、ただ、 優しい先生だったと思われて終わってしまった。しかし、1年目に組んだ主任の先生は「考えは間違っていないよ。」と声をかけ、相談を聞いてくれる先生だったため、支えられ、やってくることができた。ザワザワした雰囲気を反省し、2年目に生かすことができている。(教師を目指す学生さんは、)自分の中の軸をしっかりもって、この時期に理想をもってほしい。優しく接するには強さが必要。 子ども理解につなげるために、毎日の実践を振り返り、メモ程度に記している。また、自分の想いがぶれないように、教員集団の中で閉じこもらず、土日は外にでていろいろな方とつながり、自分の価値観を忘れないように努めている。

 

 

 

○穂高 歩(滋賀・公立小) 保護 者とつながり、ともに子どもの成長を考える

 

 

 

幼少期に母親からの虐待を受けたショウ君との2年間の報告。傷つきやすく、自己肯定感がとても低い中、できないことに「大丈夫だよ。」と伝えながら、他の子から攻撃の対象にならないよう、クラス全体において、苦手なことを許容して関わるように努めた。友達のちょっとしたひと言で学校に来られなくなることもあったが、学校でいろんなことにぶつかる中で、支えてくれる人がいることに気づいて成長していった。また、父との話をする中で、「主訴」(言葉の後ろにある本当の思い・願い、一番分かってほしい思い・願い)を聴くことの大切さを感じ、話をする時は、主訴を意識しながら関係を紡いでいった。

 

 

 

○まとめ 中村 清二

 

・(大山さん)自分にうそをつけないために実践記録を書くという点に、まっすぐさを感じた。失敗ができるクラスを目指しているが、今日の報告も失敗を織り交ぜながら話してくれた。自分の誤りを語りながら成長し、正面から子どもと関わっている。

 

 

 

・(穂高さん)ショウ君との関係が上がったり下がったりする報告を聞き、会場の感覚も揺れ動きながら聞くことができた。 報告の中にいやらしさがない。心を空っぽにしている状態、「空身」でその場にいる。その場にいるだけで一緒にいられるのは、穂高さんが「空身」で目の前の人に向き合っているから。自分自身を材料にしながらつながっている。教師自身の生き方を媒体にしてつながっている。 若い先生の生き方もそこには重なってくる。 (文責・丸田 香織)

 

 

 

編集部より     

 

今回、このニュースの発行がたいへん遅くなりました。編集の体制がきちんととれておらず、写真の手配も充分ではありませんでした。学校現場の多忙な状況と教育をめぐる情勢を反映しているのかもしれません。と、発行の遅れの責任転嫁をするつもりはありませんが・・・。 予定を大幅におくれての発行をお詫びいたします。

 

 

 

学びをつくる会

 

〒185-0014 東京都国分寺市東恋ヶ窪4-14-23 増田陽方