第19回集会


 最初は世話人代表の岩辺泰吏さんから開会のあいさつがありました。その要旨です。
学びをつくる会をはじめてほぼ10年がたちました。当初個別にあらわれていた若い人たちが群像としてあらわれるようになりました。新学力観が主張され、ゆとりと充実がさけばれていました。そんな中、習熟論とゆとりとの関連が問題になり、有効な反論として私たちは「深く、豊かな問いを育てる」として、学力・学習・教師を串刺しにして議論をしてきました。この間、教師像が大きくとりあげられてきましたが、本来は学力論で教育実践を検証していきたいと思います。

 続いて山崎隆雄さんから講師の田中昌弥さんの紹介があり、田中さんの講演に移りました。

 

講演:「学力論で教育実践を読む」
田中昌弥さん(都留文科大学)

 

 

 私は、両親とも小学校教員で、北海道の日高に生まれました。アイヌの人たちが多く住んでいる地域で、民話には近くの山や川の神(カムイ)も出てきます。そうした本を読むと誇り高い文化を持つ人びとだと感じました。でも、現実には差別もあり、アイヌの人たちの多くは貧困で、友達も学習面では厳しい状態でした。学校の「学力」とは何なのかをおぼろげながら疑問に思った最初です。

学校を囲む教員住宅で育ち、幼児期には川遊びで濡れた服を脱いで全裸で学校のグラウンドに行き、授業を混乱に陥れるなどやんちゃに遊んでいましたが、教員住宅にいると様々な教師たちの生活や仕事上の苦労、そして本音と建前を見ることになります。だから、教師には親しみを持っている一方、「現場教師」を妙に持ち上げたり、優れた実践に依存するような研究者の議論には違和感があります。教師も様々な欠点を持った人間だと実感しているし、研究者が教師と同じ発想で考えたり、実践をなぞるような話をするのでは任務を果たすことにならないという思いがあります。

「学力」についてのもう一つの原体験は、一部の教師たちが成績の良い生徒たちを嫌っていたことです。「将来は支配者側にまわる」とか、「勉強ができたって意味はない」というのです。だったらそうならない授業をすべきだろうという強い疑問を持ちました。高校進学の時は、地元の高校の定員から、成績の良い生徒は余所に行けという時代でしたので、下宿して札幌の高校に通いました。進学校で、受験に対する教師の意識が空回りし、肝心の基本的なところを端折るような授業が多かったので、高校の内容は独学すると決め、授業中は本を読み、放課後は柔道部に行くような生活でした。加藤周一や大江健三郎などにもそのころに触れ、学ぶことの意味についても友人たちと議論していました。大学では、教養を終えた3年生からの専攻として社会学・歴史学・教育哲学のどこに進学しようかと考え、各研究室に電話をしたら、「君のような人に来てほしい」と教育哲学の人が言うのです。ところが、進学してみると誰も電話に出た覚えがないという。「そんな調子のいいことを言ったのは誰だ」という具合です。そのようにして人生の方向が決まってしまいました。

 

Ⅰ・学力格差の何が問題か
 よく日本の教育政策はアメリカのあとを追うので、しばらくすると同じ問題が生じると言われています。その点で言うと、1999年にアメリカのメリーランド大学で客員研究員としていた時のことは参考になるかもしれません。先方の教授に、貧困地域の最も困難な学校、最高のエリート校、興味深い取り組みをしている学校の三つを紹介してくれるように頼んで学校を回りました。

貧困地域の公立小学校では、全教員を更迭し、「学力向上」に取り組む教員を公募して入れ替えていました。それで3年後に成果がでなければ、廃校か州直轄になるという。授業も当然ながら学力テスト対策の詰め込みが試みられていて、補習クラスには3人のおとなが付き、教えるのは1人、他の2人は児童がよそ見をしないか監視しているのです。

 エリート校は、Sidwell friendsという学園を見ました。今はオバマ、当時は、クリントン、ゴアといった政財界の要人の子どもも入る学校です。そこでの授業は、探究活動、実験、ディスカッションなどを重視した、その限りでは優れたものでした。年間の授業料が200万円から300万円しますが、多様性やマイノリティの理解が大切だとして、裕福な家庭の親たちがバザーをして集めた資金で貧困家庭の子も一定数入れています。バザーで売るのが、お汁粉やカレーではなく、大統領とゴルフできる券とか、南仏の別荘1ケ月利用券といったものなので1億円以上集まるのです。私が訪問した時は、マイノリティを理解する月間でした。これに比べると、日本の多くの「エリート校」は点数中心ですから、アメリカの貧困地域の公立校の延長に過ぎません。

 公立の改革実験校として見たのは、ニューヨークのハーレムのそばにあるCentral Park Eastです。そこでの学習も基本的に参加型です。しかし、Sidwell friendsと大きく違うのは、そこにいるのがマイノリティや貧困家庭の子どもたちで、自分たちのアイデンティティを確認し、生き方を考える教育内容になっていることです。

 このように、格差は、点数という量以上に、質的な面でとらえることが大事です。公立学校で学力テスト対策を徹底し、仮に得点ではSidwell friendsに並ぶ子どもが出てきたとしても、知的な実力では太刀打ちできません。Central Park Eastのように、学習の本質に立つという意味で「困難校とエリート校でやるべきことは同じ」という路線をとる必要があります。その結果としてCentral Park Eastは、大学進学率もほぼ100%になりました。しかし、そのことが、校長が変わるうちに当初の理念が薄まり、あまり面白くない進学校に変質するという落とし穴にもつながっていきます。

 

Ⅱ・学力の「質」はどうとらえられてきたか

 このような変質を防ぐためにも、創造的な教育実践を構成する「道具立て」の意義を確認しておく必要があります。「問い」「発見」「間違い」「対話・討論」「参加」「紡ぐ」「五感」「安心」などが、どうして学習にとって大事であり、それらをカットした効率化はダメなのかということです。さらに、教育実践を語るときにしばしば使われる「豊か」「深い」「広がり」「本質」「開かれ」「生き生き」「目がキラキラ」などという言葉がいったい何をとらえているのかを考える必要があります。そこには教師の洞察がありますが、研究者も一緒になってそうした言葉で語っているのでは数値化論者と闘えませんから、それが理論的にどういうことかを明らかにしなければなりません。

 

Ⅲ・学力の「質」を明かにする枠組みの提案

 教育実践の意義を明らかにするのに役立つと私が考えているものの一つが暗黙知の理論です。意識されている明示知は、意識下の暗黙知に支えられています。試験対策やドリルで形成された「学力」は暗黙知がとても浅薄です。逆に、体験活動は、暗黙知を充実させる上では有効ですが、討論や作文などを通して言語化したり、教科で学んだ明示知とつながなければ、やがて何を学んだかがはっきりしなくなり忘れ去られてしまいます。習熟という点でも、単なる記号操作の習熟以上に、明示知と暗黙知の往還の習熟が大事です。例えば、子どもたちが「目をキラキラ」させるのは、暗黙知が明示知とつながって「わかった」という実感を持てているときです。

 次に「学力」をめぐる3領域についてお話します。「経験知」「物語知」「分析知」です。人間は、日ごろ空間的な場面の経験の中で生きています。ルーティン・ワークでは、経験知も暗黙知化していますが、新しい経験に出会った時には、経験知を明示知化させながら生活の知恵を使って考えます。また、わたしたちは、人生や社会についての時間的な見通しとしての物語知も持っています。そしてそれらを分析したのが、分析知で、教科書などに載っている知識は、学問的な分析によって研究者たちが見つけ出した分析知の結果(要素知)です。

ここでも大事なのは、領域間の往還的な反省関係です。それぞれの領域自体の充実も大事ですが、それだけを切り離して扱うと、経験知は経験主義に、物語知はイデオロギーに、分析知(要素知)は、学ぶ意味のわからない知識の詰め込みになりがちです。学校の本来の役割は、科学や学問の成果としての分析知を伝え、経験知や物語知と関係づけたり、充実させたりすることです。その点では、優れた実践が蓄積されてきました。

 例えば、鈴木正気さんの「川口港から外港へ」という実践は、地域の動きと連動して子ども自身が探究活動を通して学んだこと(経験知)を足場に、それを科学の世界(分析知)や、地域のこれまでとこれから(物語知)の洞察につなぐものでした。

 渡辺恵津子さんの実践では、工場見学に行ったり、友だちとの関係で割り算を理解する姿が描かれます。割り算は掛け算がわからないとダメだという分析知(要素知)の範囲に閉じた発想ではなく、経験知や物語知の充実を通して分析知につないでいく可能性が示されています。

また、すべてのことを分析知にこなせるわけではありません。生きる上では、生活実感としての経験知から分析知や物語知をとらえ返すことも大事です。例えば、戦争中、高等教育を受けた私の祖父の兄が社会科学的な説明によって「この戦争は負ける」と説いても誰も理解しなかった村の人びとが、華奢だった私の祖父に召集令状が来ると「もう戦争は負けだ」とすぐに理解したそうです。大本営発表の物語を分析知では対象化できなかったけれど、労働者・農民としての経験知、生活感覚が働いたという例でしょう。生活綴方には、教科との接続に還元されないこうした生活の知恵が様々に含まれていて、これからもそうした知恵を育てることは大事になると思います。

 

Ⅳ・おわりに

 このように見てくると、たとえPISA型の問題が多少包括的な性格を持っているにしても、その試験対策が、優れた教育実践に匹敵するレベルで知の充実をもたらすものでないことは明らかです。教育実践とそれによって育てられる「学力」の質を見ていくこと、その質を正当に評価する教育研究の展開が必要です。

また、どのような質の「学力」であれ、それをつければつけるほど良いというものではありません。個人の力だけに目を奪われると、他の人とつながる感受性を失います。様々な教育実践を見ても明らかなように、他者との関係を通して知は充実し、人は育ちます。

 

 

 

 


分科会


第1分科会 学力・授業 
 

 午後1時の開始時刻を前に、昼食を済ませた参加者が続々と集まってきました。会議室を二部屋ぶち抜いた広い会場ですが、その8割方の席が埋まっています。大多数は20代と思われる若者です。開始前から、会場は活気と華やぎに満ちていました。

 一人目のレポーターは、埼玉の霜村先生です。昨年定年を迎えられた後も、引き続き教壇に立って現役を続けているベテランです。まず、教室の子どもたちの姿から、「学び」について語られました。
困難な家庭環境から不登校になったMは、担任との関わりや、子どもたち同士の関わりを経て、「学校が楽しい」と言うようになります。そして、見違えるほど丁寧に、漢字の宿題を書くようになりました。
外国籍の保護者をもつYは言葉がたどたどしい。しかし、教科書の詩を読み、思い浮かべたことを、自分の言葉で懸命に語ります。そのことを取り上げ、時間はかかっても自分の頭にイメージを浮かべ、それを語り合い聴き合うことの大切さを、先生は子どもたちに話しました。すると、真夏のうだるような教室で、思考することを投げていた子どもたちが変わります。時間をかけて待つと、全員がイメージを語ったのです。
 言葉や文字学習の具体例もいくつか紹介してくださいました。
① スプーンを持って、「曲げて見せよう」という先生。「できるはずがない」という子どもたち。おまじないを唱えると、ぐにゃっと曲がりました。(実は力ずくで曲げた様子が、子どもたちにも丸見えです)
 そのスプーンの上に卵を乗せると、「な」の形。結びの形はスプーン卵。だから○ではいけません。形を作りにくい「結び」の形も、これなら楽しく簡単に習得できることでしょう。
 「す」の学習の始めは、つながり遊びから。その次には反則技も…。しかしそれは形をとらえるための方便です。最後は体全体を使って、結びの書き方を身につけます。
② 1年生で出てくる漢字を全部並べて、音読みします。そうすると、まるでお経のようになりました。木魚と、鉦の代わりにトライアングルを使えば、さらに本物のように聞こえます。
 「成り立ちを知ったり漢字あそびをしたりすれば、子どもたちは漢字が大好きになる」というお話は、実際に声を出して読んだ参加者には、実感をもって理解できました。

 そのほかにも、ここでは紹介しきれないほどの実践例が話されました。

 

 二人目のレポーターは、東京の吉澤先生。今年22年目の、エネルギッシュな先生です。先生が「授業で勝負する」ことを大切にしているのは、授業に懸ける教師たちとの出会いから。それは新採の年のことでした。初めて受け持った4年生は、同学年に、科教協(科学教育研究協議会)、仮説(仮説実験授業研究会)、同志会(学校体育研究同志会)の先生がいたそうです。
手のひらでブタンを沸騰させる実験。仮説の授業書を使って話し合いで進める授業。ピタッと止まるV字バランス。 「何それ?」「どうして?」と先生自身が興味をそそられ、隣の授業を見に行き、自分も授業に取り入れます。
 一人一鍋を作る調理実習、一人一匹を育てるアゲハの観察では、他人任せにできないので全員が主体的に取り組みました。こうした経験を通して、「子どもに好かれるだけではなく、授業で信頼される先生になろう」と心に決めたそうです。
 授業見学は自校にとどまらず、振替休業日になると知り合いになった先生に連絡を取って出かけるようになりました。振替休業日の見学はぜひお薦めと、若い参加者に強調なさっていました。
 続いて、「考えて発見する授業づくり」の実際です。まずは理科の「温かい飲み物を飲める授業」です。
 各自持参した手鍋を空き缶に乗せ、固形燃料一つで湯を沸かします。「理科室でお茶を飲める」とわくわくしているのに、いつまで経ってもぬるいまま。ところが先生だけは早々に沸き、「うまいなぁ」と余裕の表情。
 実は、先生の空き缶には、底の方に穴が開いているのです。そのことに気づいた子どもたちは、早速開け始めます。もちろん、位置や大きさを各自工夫して。
 これは6年生の「ものの燃焼」の授業です。教科書では、底を切った集気ビンにろうそくを立てて実験するようになっています。「どうしてだろう」と考え、発見し、そして何より、生き生きと活動するのはどちらの授業なのか。答は明白です。
 そしていよいよ、ご専門の体育の授業です。
 持ち上がりではない6年生。互いが打ち解けあえない雰囲気の中、リレーに取り組みます。チーム分けのためにタイムを計っても、全力で走らない子どもたち。力いっぱい頑張る姿を見せられないクラスでした。
 そこで、先生はバトンパスを重点的に指導しました。走力はなくても、練習しだいで速くなれるからです。
 まず、スタートマークの意味を知り、各自のスタートマークを見つけます。その位置は受け渡しの相手によって変わるので、走順を固定します。そして、「ハイ」の掛け声と手を伸ばすタイミングの習熟。
 こうした科学的な指導により、子どもたちは変わっていきます。まず、全力で走るようになりました。そればかりでなく、スタートが早すぎて受け渡しを失敗したチームメートに対して、「ミスではなく、チャレンジの結果」と受け止められるようにもなりました。こうして、1回目に58.2秒だったチームが、8回目には50.8秒と、実に7.4秒も短縮することができました。
 練習風景や学年リレー大会の様子をビデオで見せてくださいましたが、日々上手になっていく姿に、参加者から驚きと感心の声が上がりました。
 先生は問いかけます。「跳び箱は開脚跳びから、鉄棒は逆上がりから、水泳は面かぶりクロールから教えていませんか」と。
 指導には順序性があること。しかも単にできればよいのではなく、将来的な発展につながる系統性を明らかにし、その系統に則って指導すること。この2点を、授業を作るうえで大事にしているというお話でした。
 その具体例として話されたのが、跳び箱です。まず、横跳び越しから始めます。跳び箱によくある、お尻をぶつける恐怖感が無く、苦手な子でも抵抗なく取り組めそうです。それができたら、手を前に向けていきます。すると、自然に閉脚跳びになります。ここまでできれば、開脚跳びは簡単です。
 この指導過程を、実演を交えて教えてくださいました。これなら、無理なく誰でもできるようになるでしょう。「やらせ込み(教え込み)ではなく、科学的に指導する」という先生の言葉が、説得力をもって伝わってきました。さらに、側転の指導から、運動会での「孫悟空」の取り組みも、ビデオを見ながら話してくださいました。
 「指導計画は系統的に。しかし日々の授業は子どもとともにつくる。」吉澤先生自身の、気さくで情熱的な魅力と相まって、このクラスの子どもを羨ましく思いました。

  コメンテーターの渡辺恵津子先生からは、二人の話が魅力的なのは、自分自身が楽しんでいるから、というお話がありました。そして、授業作りで大事なのは、教師自身が教材をどれだけ学んでいるかということ。しかも、その「学び」にどういう意味があるのかを明らかにしておくこと。それらの基盤として、安心できる教室であること。という3点が挙げられました。

 参加者へのメッセージもいただきました。
 霜村先生や吉澤先生は、かっこいいしあこがれる。でも、他の人は霜村先生や吉澤先生にはなれません。私は私でいい。自分らしい、魅力的な教師になってほしい。
 また、子どもの変容を語れることが大切。授業展開の実践報告はたくさんあるが、今日の二人はそうではない。実名の子どもが出てきた。その授業で子どもがどう変わったかが大事。とのことでした。

 全体講演の田中先生からも、「道理にかなった、科学的な指導が印象に残った」というコメントをいただき、実り多い分科会を閉じました。



 

 

 


第2分科会 こども理解 
 

 

 最初のレポートは神奈川県秦野市の小学校教師松岡文宏さんです。教師6年目で、新任からのクラスの子どもの言葉からどんな思いで実践してきたかを語りました。熊本で生活していた原風景から語り始めました。小学校3年の時に「なりたい職業は?」と聞かれて「消防士・教師・テレビをつくる人」と答えていました。教師も選択肢にはいっていました。熊本大学で仲田陽一という個性の強い先生に巡り会いました。フィールドワークに行ったり、夜遅くまで理想を語り合うなどしました。学びというのはこういうものだと思いました。この道で生きていこうと学び直しをしました。そして神奈川の教師になりました。 こんな生い立ちを語り、実践報告にはいりました。

 最初の小学校では4年生を担任しました。その学校の教師をみていて、この先生たちは夢がないのか、こんな先生になっちゃいけない、と思っていました。「こういう先生にならなきゃ」という呪縛があったのです。そうしたら子どもからの反発がありました。3年前に学びをつくる回に参加し、子どもたちの声を聞くことを学びました。子どもとの関係づくりが必要だと学びました。

 そして、子どもたちの声をひきながら、子どもが何を求めているのかを松岡さんなりの分析を試みています。「プロの教師たれ」という言葉をこそばゆく感じて、子どもにとって身近で親しみやすい存在でありたいと言います。「子どもが輝く教室が心の原風景になれば」と報告を結びました。

 渋谷の特別支援学級担任の渡辺克哉さんの報告はふたりの子どもに焦点をあてて、報告されました。発達障害といわれるAくんの状況を分析して、生きづらい中にいることを指摘します。ちょっとしたことで爆発するAくん。出来そうだと思うこと以外には手を出さないのです。書きたくないのではなく、書くことが苦手なだけです。書く気持ちを引き出すことに心がけます。自ら成長していこうという言葉を信じることだと渡辺さんは言います。

 また学校中を走りまわるBくんは、電気関係に関するこだわりが強くあります。何が危険かわからない、と言ってコンセントをいじったりします。また負けることに苦手で負けることがわかっていることには手を出しません。そんなBくんがしっかり勉強できて楽しくすごせるような会をもちました。

 渡辺さんはふたりのようすをこまかく分析し、そこから出発する方針を練り上げていきます。まさに「~させなければ」という発想ではなく、「なぜ~なのだろう」と考えていきます。非常識なところからのスタートです。こんな渡辺さんの報告でした。文字にするとうわっつらの紹介しかできませんが、実に深い実践報告でした。

 討論では、「負け続けることでもそれを乗り越えられれば大丈夫」、「立ち止まって考えることが大事なのでは」、「なぜやらないかを考え、やりたくなるようにし向けることだ」「一人ひとりをみて授業をつくっていくこと」「やはり現実から出発しなければ」「通常学級でも問題児といわれる子が増えてきている」「交流教育が大切」などの声がだされました。

 

 最後に佐藤隆さんからのコメントがありました。その要旨です。「プロ教師の会というのがあります。この会は教師が権力者になって子どもを従わせる、社会的文脈の中で子ども理解するということを欠如させている、という特徴があります。そういう雰囲気が学校の中に広がっているのではないか。多くの教師は違うんじゃないかと思っていますが、きちんと反論していません。そうすると楽ですから。教材研究をするにしても子ども理解なしにはすすみません。城丸先生は教育の事務化と言っていました。今日の二人の報告はこれに対するレジスタンスだと思います。教師が自分自身の成長にとって大事なことは、子どもからの原風景を語ることです。過去を語り、未来を展望しています。教育の事務化では専門書はいりません。渡辺さんが細かいところまで子どものようすを語っているのは専門性の高さです。教室のなかの子どもの様子を生き生き語るのはなかなか一般化できません。渡辺さんの文脈でしか語れません。自分で考えなくちゃいけないのです。マネしてうまくいくわけではありません。渡辺さんのレポートは「こんな感じです」と結ばれていました。そんな感じです