23回集会


 2015年1月24日、東京・明治学院大学で「学びをつくる会」第23回の集会が開かれました。開会の10時前からたくさんの若い教師・学生が来場し、100名近い方の参加で大きく成功しました。まず、午前は北海道岩見沢の小学校教師・村越含博さんの講演です。午後は若手の教師のパネルディスカッションでした。

 午前のオープニングは会の世話人・岩辺泰吏さんのあいさつから始まりました。岩辺さんは「学びをつくる会」の初心にふれ、人と人をつなげ、学ぶことと生きることを結ぶ、ということは今の状況にピッタリだと話され、この会が若い人にハイジャックされたように、若い人中心になっていることを指摘されました。職場の状況が20歳代が過半数という職場がふえていて、現場は疲れ切っているベテラン教師となかなか実践に踏み出せない若手、というふうだ、とも言われました。その中で、仲間となって学ぼうとしている若い教師たちに希望がみえる、と話されました。昨年なくなった学びの会の創設者の一人、菊地良輔先生は「遠くを見通して」と言われていました。「深く豊かな学びを」が学びをつる会の原点です、とあいさつを結ばれました。

 このあと、霜村三二さんの講師紹介で講演が始まりました。村越含博さんの講演の要旨です。


子どもといっしょに教師の“創造的シゴト”を楽しむ
    村越含博さん(北海道・小学校教師)

 4月に教室に子どもたちがはいってきます。学級づくり、といいますが、そもそも最初から学級はありません。知らない者どうしが集まってくるのです。そんな時に「授業でなんとかしよう」などとは思わない方がいいのです。文化の力を借りることです。集団づくりゲームや読み聞かせから入ります。子どもは話しがきけない、といいますが、興味のないことは聞きません。
 北海道は日本で3番目に鉄道が通ったところです。小樽・札幌・岩見沢に最初に鉄道が通りました。北海道は広く海に囲まれています。子どもには、長野県と比較させます。だから、水産業・海運がさかんです。また、酪農もさかんです。そして、林業も日本一なのです。しかし、林業をみる社会的視点がうすいです。
 ここにおみやげを持ってきました。皆さんで食べてください。「バターあめ」です。この袋には、表はバターあめの図柄ですが、裏側はアイヌの絵が描かれています。

 「20のドビラ」をしましよう。20の質問をして、何をテーマにしたかを当てるのです。子どもたちは外遊びが好きですが、中が得意な子もいます。朝の会は音楽で始めます。
 教科教育は「目からウロコが落ちるような良質な教材」が必要です。面積の学習で、「切ってあわせる」ことが行われていますが、
不等単位をみつけることで感動的な出会いがつくられます。新しい概念と出会うということです。わかることを感動的につくりあげていくのです。

 

子どもは子どもとの関係でその子が変わる
 Yくんの話しをします。Yくんは義父からの虐待を受け、友人関係がうまくいきません。小学校4年生のある時、すずめのヒナを拾ってきました。Yくんは、これを育てたい、というのです。クラスで話し合いました。私はYくんに「それ、なんのヒナだ」と聞きました。概念くだきです。まったく別の視点でゆさぶってみます。
 Yくんの意志は「ヒナを飼いたい」ということですが、動物病院につれていきました。お医者さんは、エサをくれ、注意を与えてくれました。家では飼うことはできません。お父さんに見つかったら、とんでもないことになります。クラスでも討論になりました。Yくんが、ヒナが元いた場所でエサを与えながら、見守ることになりました。10日ほどYくんは毎日毎日面倒をみました。10日ほどあとにヒナは見えなくなっていました。その後、クラスでは、まわりの子のYくんを見るみかたが変わりました。飼育係をつくり、ハムスターを飼うことになったのです。


学びを深める=世の中を見るものさし
 総合学習について。社会認識というのは気づけるかどうかです。考える、というのは認識が育つ、ということです。体験「的」な総合学習からぬけだすことです。
 メロンはどうやって価値が決まると思いますか。「見た目」です。白っぽい果肉よりも赤っぽい方がおいしそうに見えます。こちらの方が高値がつきます。果肉が赤くなるのはカボチャを交配しているからです。
 水田学習の時は、植える時、途中見に行く時、刈り取りの時、と3回しか行かないのが普通です。これではだめです。水田をつくり、その管理から世話まで継続していかなければなりません。そうすることで、収穫の時の喜びも倍加します。収穫祭をやります。
 北海道の大事な産業に石炭採掘がありました。クラスの子のおじいさんで採炭をしていた方にきていただいて、話しをききました。地中深いところに降りていって石炭を取ります。図工の時間に空き教室に炭鉱を再現してしまいます。
石炭の授業では、強制連行の事実にもふれます。戦争中、朝鮮人や中国人を北海道の炭鉱で働かせました。地域にここで亡くなった彼らの慰霊碑もあります。

方法と内容の統一
 授業の内容と方法についての議論があります。方法が良くなくても内容は伝わります。どんな授業が良いのでしょうか。①楽しくわかる、②楽しくわからない、③楽しくなくてわからない、④楽しくなくてわかる、この順だと教育学者の板倉聖宣さんは定義しています。楽しくわかる、のが一番ですが、楽しくなくてわかる、というのが最悪だと板倉聖宣さんは言っています。
 授業の内容と方法の統一を考えなければなりません。 月一回北海道作文の会の例会があります。そこで、学級通信を提案し、検討してもらいました。その内容に意見を検討してもらいたかったのですが、出てきた意見はレイアウトについてでした。内容ではなく、形式についてでした。その意見は「疲れた親が読むのだから、ホッとするようなものでなければならない」というのです。
 こういう学習会を続ける秘訣は「三人集まれば例会」とすることで、やめないことです。


 午後のスタートは、霜村三二さんのパフォーマンスからはいりました。霜村さんは「言葉を文字にとじこめない」と、言葉を音に出して、そのひびきから感じ取ることを基本にいくつかの「言葉遊び」をみんなといっしょにおこないました。リラックスして、午後のプログラムにすすみました。
 午後は若手教師のパネルディスカッションです。臨採・新採用・二年目の若い教師たちが思いのたけをぶつけました。その概要です。


パネルディスカッション
現場からのアイ(私)メッセージ
      ~若い教師たちのトーク&トーク

 司会は埼玉の小学校教師の石井広昭さんです。コメンテイターは午前の講演者の村越含博さんと大東文化大学の中村清二さんです。ディスカッション参加者は仮名です。

司会:今、困っていることはどんなことでしょうか。

座間広仲さん(埼玉・小)臨採4年目になります。以前はデパートの仕事をしていました。今の職場は朝7時に行き、夜10時か11時までいます。無期限激務(ムキゲンゲキム)←さかさまから読んでも同じ、という回文です。今は5年生を担任していて、学年の先生には恵まれています。

上野美実伽さん(埼玉・小)初任研の出張が多い時で週一回あります。となりのクラスの担任(中堅の先生)が助けるつもりかもしれないのですが、しょっちゅう私のクラスに顔をだすのです。そして、子どもをしかります。

上根一彦さん(東京・小)2年目です。前は児童養護施設で働いていました。教師になるとは思いませんでした。初任の時、小3の最初の学級びらきで「いじめの撲滅」を宣言してしまいました。子どもを恫喝していました。最悪の学級びらきでした。クラスは落ち着きませんでした。そうじをしない子がいます。教師をしていた私の親に相談すると「そうじはしないでいい。ただし、やっている子はほめろ」と言われました。
 私のいる区では「学力重点校システム」というのがあり、下から10校には退職校長がはりつきまするこの先生が授業にはいってきます。子どもはいやがっています。子ども・保護者とはうまくいっているのですが、今年の新しい同僚(35歳の女性)とコミュニケーションがとれません。2クラス分の宿題を印刷するのですが、何の会話もありません。

石井(司会)たまったものをリフレッシュするのはどうしていますか。

座間:毎週金曜日に合唱のサークルで歌っています。なかなか夜でもいけない日もありますが、それでも時間をとっています。

 上野:私のお母さんに話します「ネェー聞いてよ」という感じです。初任者担当の先生は良い先生で水曜日はこの先生と話してすっきりします。若手教師で飲んで遊んでストレス発散しています。

 上根:職員室のストレスを教室で発散している感じです。安心して授業しています。アフターファイブは食事に行ったり、飲んだりしています。カウンセラーの先生が日本酒好きでよく飲みにいきます。

 村越:教師は実践でしか救われません。授業でも、クラスでもそうです。私は10年ほど前に突発性難聴になりました。右耳が聞こえなくなりました。うるさい校長が右からボソボソ話すのです。ストレス解消は子どもにかかわることでしか救われません。実践記録をずっと書いています。僕はこう思う、という柱が必要だと思います。

 このあと、休憩にはいり、会場からの質疑にパネラーが答えました。その中で、親との関わり、子どもとのかかわり、職場のこと、仕事のことなどがだされました。
このコーナーの最後に村越さんからは次のような指摘がありました。
 「柱」をどこにおくのか、ということです。学びはすべて総合だと思います。ほめる、ということはそのことを認めている、という背景があります。教師触媒論というのは、子どもと子どもをつなぐ、という意味です。保護者からも話しをきちんと聞くことです。


 パネラーからのまとめの一言がありました。

座間:自分が生きていることは多くのつながりの中にあることを思います。クラスを家族のようなつながりを持たせたいと思います。算数を軸にしたクラスづくりをすすめてみたいと思います。4月からはたいへんな日々になると思いますががんばります。

上野:慣れと忙しさの中で、どういうふうにしていきたいかをなかなか考えられません。教室が居心地がよい、と思えるようにしたいです。じっくりふりかえってみたいです。子どもをよくみたいです。学ぶ機会を減らさないようにします。

上根:今後どういうクラスをつくりたいか、をしっかり考えます。自分の言葉で語れる教師にいたいです。滋賀県出身ですが、学校では関西弁でしゃべれません。本当の言葉で、本当のことを。プロフェッショナルなものを身につけたいです。


 最後に中村清二さんからまとめの話しがありました。
 地獄への道は善意で敷き詰められている、といわれています。子どもの将来のため、といいながら、その裏にはウソがあることがあります。今日の若い教師の話は「たいへんだ、といつつも明るさがあります」若い教師が増えています。そこでキーワードになるのは、「同業他職場」です。職場の同僚が機能しないときは、同じ若い仲間でサークルをつくってやめないことです。そこでは①授業の腕を磨く、②気持ちをくんでもらえる、ということが大切だと思います。学生がここに参加すれば、教職のイメージをつくることができます。善意の中にウソがあることを見分けることにつながります。学習の場になります。民教連の蓄積があります。問題をもちよって解決していくのです。その場は発言の自由と、立場の平等が保障されなければなりません。民主主義を学ぶことにもなります。