第7回集会


7月24日に「学びをつくる会」の第7回集会がおこなわれました。その報告です。「学びをつくる会」は、一昨年第一回の集会をもち「深く豊かな問いを育てる学びの創造」をかかげました。その後、6回の集会、3回の学習会を重ねてきました。多くの教師、研究者、市民、学生、NPOの皆さんがこの議論に参加してきています。一方、教育をめぐる激動の中で、「学び」や「学力」の問題が大きな議論をまきおこしています

 そんな中、第7回集会は、「生きる力と学力――今、求められている学びとは――」をテーマにシンポジウムと分科会をもちました。熱心な参加者が100名近く、真剣に考えました。午前は全体シンポジウムです。開会あいさつは岩辺泰吏さんがたちました。「生きる力と学力」で一番問われるのは教師ではないでしょうか。教師は「教えるために学ぶ」と考えられがちです。しかし「教師も『より良く生きるために』学ぶ」のだということを忘れてはいけないと思います。今教師は夏休みになっても毎日学校に行っています。子どもたちも毎日学校に行っています。ゆっくりすることが罪であるかのような雰囲気です。これはとても残念なことです。

 今年の「子ども白書」があります。いつも七月に発行されています。その一年の子どもたちのようすが描かれています。今年の日本の子どもの状況をあらわす言葉としたらどんな言葉があるでしょうか。子ども白書は「安心・安全と希望のゆくえ」と書いています。安心に対して不安、安全に対して危険、こんな状況におかれています。どこにいれば一番安心なのでしょうか。学校でしょうか。家庭でしょうか。地域でしょうか。平和に対する不安、命に対する不安、生存に対する不安が子どもたちの中にあります。

 東京の教育改革が大きな問題になっています。全国でもたいへん心配されています。東京の教育改革はどうなっているのか、影響がある、しかし、迷惑であるといわれています。全国一律ではありません。新しい流れはあります。

 私たちにとって学びとは何か、生きるとは何か、私にとって人生とは何か、を問い直す必要があります。これに「喜び」「楽しさ」という言葉をくわえてみませんか。学ぶ喜び、生きる喜び、人生の喜びを考えましょう。学ぶ楽しさ、生きる楽しさ、ということです。学校が生き残っていくように・・・・。





開会あいさつ 

シンポジウム
「生きる力と学力――今、求められる学びとは――」

  シンポジスト
今泉博(東久留米市立南町小学校)
渡辺恵津子(上尾市立原市小学校)
吉澤良紀 (青梅市立若草小学校)
和泉航(フリースペース・コスモ)

 

今泉(コーディネーター):今回のシンポジウムでは「学び」の問題をとりあげます。ここでは評価の問題は対象としません。今こういう学びが必要だと・・・ということが浮き彫りになれば、と思います。今ドリルドリル、練習練習が子どもたちに強いられています。長崎の事件も「学ぶ」とは何かをつきつけられているのではないでしょうか。
学校の学びとは何かも考えていきたいです。「集中しない」「立ち歩きがある」などの状況で退職していく教師もたくさんいます。生き生きした授業をどうつくるかを考えたいと思います。

和泉:不登校の子どもがやってくる居場所でとりくんでいます。新しい子どもがくるとまず一対一で対応します。安心できる関係をつくるためです。それぞれ不安をかかえてきます。他者と出会うのがこわいのですが、他者と出会いたいという要求をももっています。一対一の関係から他の子との接触をすすめていきます。自分を殺して集団に染まろうとして破綻してきた体験が多いのです。しんどい思いをスタッフにぶちまけることができます。そういう自分もいていいんだと実感します。ゆっくりとすすめていきます。だんだんと学校・社会を相対化していきます。

吉澤:教師になって三年目です。一年目は立ち歩き・おしゃべりが多くありました。二年目「意味ないじゃん」「めんどくさい」といわれました。今年は「意味わからない」 といわれています。勉強のことを心配しています。最初からあきらめている子どもも います。しかし、本質的なものを見分ける力、大事なことをかぎわける力は持ってい ると思います。

渡辺:32年目になりました。今年は新しい学校に転勤しましたが、3年連続で1年生を持つことになりました。学校に朝早くから夜遅くまでいる若い教師がたくさんいます。はじめ「子どもの悪口」が多かった職員室が「子どもがこう変わった」という話が増えてきました。学年担当の4人の教師でいっしょに教材をつくるなどをしてきています。毎日の授業を楽しくする、ということです。ハングルしかわからない韓国籍の子どもがいます。この子が安心して学校ですごすことができるかも考えます。遺棄された子、虐待の子もいます。こういうたいへんな子も学びの質で変わっていきます。
 今大切なことは「教科を総合的に学ぶ」ということではないでしょうか。親とのか かわりも大切だと思います。親は、かつて自分が学んだ学びを子どもにおしつけているのです。

今泉:母親が子どもを虐待したくなる、という状況です。離婚の問題、で夫婦げんかになったり、ということもありました。
 しかし、子どもの中には「学びたい」という要求はたくさんあると思います。子どもの状況、それをどう見ているか、という教師の状況などもだしていただきたいと思います。

和泉:コスモでは、米作り、農業体験にとりくんでいます。子どもたちははじめ「それやって意味あるの?」と言います。スタッフでミーティングをしました。「子どもたちはあきらめさせられているのではないか」という話になりました。「自分が何かをしてみることで変えることができる」「新しいものをつくることができる」という実 感がないのではないか、ということです。稲刈りをしてみると、まわりの風景も変わるのです。自分が口にするものを自分でつくった、他人にわけて喜んでもらえる、という実感を持つのです。

吉澤:国語の「お手紙の授業」で立ち歩いていた子が変わりました。読みもたどたどしいものでしたが、とても鋭い読みをするようになりました。登場人物になりきってしっかり考えるようになったのです。たどたどしい読みではあるけれども「考え」はしっかりしてきました。このことはその後の授業でもいかされました。「スーホの白い馬」をやった時も「僕、登場人物になりきるの大好き」と言ってしっかり勉強しました。学年の最後の作文でも「僕は最初勉強をさぼっていました。でも、しっかりやるようになりました」と書くようになったのです。

渡辺:学習は仲間のなかで話し合うということが大切だと思います。学ぶなかで仲間を発見したり、自分をみつめられたり、ということです。「違いの引き算」の学習です。「青い折り紙が7枚、赤い折り紙が3枚、どちらがどれだけ多いでしょうか」という問題です。鶴田くんは「7+3=4」とやるのです。青い折り紙を7枚、赤い折り紙を3枚並べて、こっちの折り紙が青い折り紙にすっとはいるから「+」だというのです。いろいろな子どもたちがたくさん自分の考えを出します。その中で友だちを見つけたり、自分を見つけたりできます。先取り学習をしていた子も「自分はなんにもわかっていなかった」と言います。子どもたちが納得できるには時間が必要なのです。

今泉:基礎・基本が言われていますが、それをどう見たらいいのか、ゆたかに学ぶということはどういうことでしょうか。

吉澤:自分自身が基礎・基本の徹底をしてきました。中学までテスト一週間前はがんばりました。しかし、テストが終わるとパッと忘れてしまうのです。高校では「意味ないじゃん」と思って勉強しませんでした。
 今、低学年の子では「もっと問題ちょうだい」と言ってくる子がいます。高学年ではダメです。去年4年生で漢字をおりてしまった子がいました。辞書をもってくる子がいました。みんなで使い方をだしあいました。漢字を好きになつた子が多くでました。「先生、『かばねへん』は悲しい字が並んでいるね」「帯という字を生活と結びつけて」考えた子もいます。10回書かなくても覚えられるのです。漢字についてたくさん考えました。

和泉:教材を総合して仲間づくりをしていくのを考えていきたいと思います。

渡辺:子ども自身で一定の習熟をしていくことも必要です。しかし、百マス計算をやってその結果どうなったかを見る必要があります。情動をともなって、こういう学びが必要だという実感だと思います。教師が与えるのではなく、友だちがつくった問題がクラスの子どもの数だけありますが、これはどんどんやります。子どもは仲間の中で学ぶのです。生活の交流をしています。朝の発表でもお互いが心を開いていきます。いろんな子どもがいて、共同の生活をすることで学んでいきます。「積み重ね」ではありません。

今泉:学習は苦役感が伴うものはダメです。学びにおける「自由」の問題があります。生き方がみえてくる学びをつくりたいと思います。

 

 

 このあと、会場からもいくつか発言がありました。「大学生でも中高では計算ばかりやってきた。計算を伴わない数学を考えるようになった」「生きる力、というのはその人自身でつくりだすものではないか」「漢字学習はたいへんだけれど、音読みを中国語から解く実践をした」「子どもどおしの交流はどうやってつくるのか」などの発言があり、最後にもう一巡パネラーからの発言がありました。

 

渡辺:若い吉澤さんががんばっているのにはげまされました。ともに学んでいく、ということ、教師自身が生きることは楽しい、と思っていきたいです。

吉澤:職員室の同僚との関係を大事にしたいと思います。若い先生はベテランの先生にフォローしてもらっています。このことを肝に銘じていきたいと思います。

和泉:高校3年の数学の学びで社会に直面していることを考えています。困難につながったものを解決していくとができる、という実感がもてるといいと思います。子どもたちは「数学はこう・・・」という強迫観念があります。不登校の子は不安なのです。自分のままでいいんだという「癒し」を持つことがまず最初です。しかし、場所の外、社会にどんなふうにでていくのか、希望をもっていきたいと思います。

今泉:教えたいことは教えない、プロセスがあります。問いと答えが離れているものがいいのです。子どもの学びは教師の学び、おとなの学びでもあります。きょうはありがとうございました。

 

   参加者の感想

★とても内容の濃い話が聞けて充実感を味わっています。私は学生なので、授業や講義で聞いた話や自分の今までの学びを想起しながら聞いていました。吉澤先生は3年目にして多くの重大なことに気づいていらっしゃってスゴイと思いました。現場の先生方の話かきけてとてもよかったです。

★渡辺先生の話にとても納得しました。「子どもは学びの仲間の中で変わる」「いい授業を作りたい」という点で共通の教師集団はとても大事だと思いました。

★授業の実践や何を大事にしていけば良いかなど再度考えることができました。子どもたち中心の子どもたちのための学級作りをしていきたいと思います。

★勉強をやらされ、学ぶ楽しみを感じられなかった私にとって、先生方の「学びを楽しむ」授業のお話は、とてもうらやましく感じました。大学では教育現場は大変だという話を耳にします。仕事や研修の忙しさ、職場や保護者との人間関係など余裕をもてない状況ですが、自分自身が楽しめる学びを目指していきたいなと思いました。

★学びの中で友を作り、仲間の中で学んでいく。本当にそうだな、そうありたいな、と思います。そのためには私自信、子どもたちが楽しく学んでいけるようにしていきたいと思います。

★ベテランの先生、若い先生、NPOの先生と違った立場の先生方の話が聞くことができ、良かったです。また学校現場での様子が、子どもたちの様子がよくわかるように説明していただき、少し現場のことを知ることができました。また、将来教師を目指す上で考えたいと思いました。

★とても有意義な時間でした。多くの同僚と毎日すごしていますが、あらたまった話をすることが少なく、また改めて自分自身や子どもたちのことを考える機会になりました。私の職場も20代の教員は2名、30代も数名という高齢化しています。若い先生や学生さんがたくさん参加されていたことに感激です。

★3名のシンポジストの方の人選がよかったと思います。3人の方がそれぞれの立場や経験から実感の伴う話をしてくださったこと、とても印象深かったです。今泉先生が以前からおっしゃっていた討論しながら発見していく授業というのが、学ぶ喜び、楽しさにつながることをまた今日再認識しました。自分の生活とつながった時、さらに学びが子ども自身のものになるのだと思いました。日常の忙しさに終われ、忘れかけていた学喜びというものを今日思い出すことができました。




第一分科会
「絵本『ゆっくりがいっぱい』
ナマケモノに学ぶスローライフのアニマシオン」   
学び探偵団 原かしこ(江東区第二辰巳小学校)

エリック・カール作、工藤直子訳『ゆっくりがいっぱい』の実践報告である。第一級の作・訳者による魅力に加え、ナマケモノのスローな暮らしを通して、もの静かに平和に生きることの大切さを感じさせてくれる本である。

 はじめに「アニマシオン」の概略説明があった。アニマシオンには決められた方法はなく、大好きな本をどうやって楽しく遊べるかを考えればよいそうだ。国語以外の教科や仲・高校での実践もあるという。

 具体例として『ゆっくりがいっぱい』を使った4種類のアニマシオン(ゲーム)が紹介された。子どもたちが遊び方を考え出すことも多いそうだ。

 ・「ナマケモノ君、はいポーズ・・・絵本のナマケモノ君のポーズを絵札に、文を読 み札に作る。絵札を持っている子は、読まれた札が自分が持っている絵の文だと思っ たら手を挙げる。このカードで「かるた」もできる。

 ・震源地ゲーム・・・ナマケモノ君のポーズ限定での、震源地ゲームである。

   スローライフについての思いも語られた。急いでばかりの生活、争いばかりの世の中だからこそ、もの静かに平和に生きるスローライフを考えてみないか・・・、と。

 最後に『はらぺこあおむし』を使ったワークショップを行った。読み聞かせの後、あおむしが食べたものと食べなかったものを当てるゲームであった。

<質問・討論・感想>

  「どの時間に実践するのか」という質問があった。朝読書・図書の時間など、いろいろな場面が考えられる。その際、読書が苦役にならないように気をつけたい。朝読書はまず読み聞かせから始めるとよい、とのことだった。

 次に「あおむしが食べた物を当てるゲームで読みが深まるとは考えにくい。この授業でどういう力を子どもにつけさせたいのか」という質問があった。これには、著者の他の作品を紹介したり、読みの意欲を高めることもできる。この1時間だけで結果を出すわけではない、ということであった。

 「クイズ化して楽しい授業ができそう」「中学理科でも使えそう」という感想が語られた。「アニマシオンというと特別なものかと思ったが、これまでに聞いたり実践したりしたことのある手法が多くあった」という感想があった。それだけに様々な場面で使える汎用性があるのだろう。

 「自分も楽しみ、子どもたちも楽しむ、そんな授業を創っていきたい」という司会の言葉でしめくくられた。       

(桐生 孝文)




第二分科会
「教師として歩む今
――教えること、学ぶこと、子どもととも生きること――」
コーディネーター・岩辺泰吏

 10名程度を見込んでいた分科会に30名近くの教師(10人くらいが学生でした)が集まりました。自己紹介では、みんな固い表情をしていましたが、岩辺先生のアニマシオンで体も心もほぐれて、自分の悩みをいえる雰囲気ができてきました。

 まず、一人4~5枚ずつのカードに悩みを書きました。参加者の悩みは授業・子ども理解・学級づくり・保護者との関係・初任者研修・管理職など多様で、それをみんなで整理し、いくつかのテーマについて話し合いました。

 はじめに話し合ったのが、「教師に威厳は必要か」というもの。「子どもたちのおしゃべりや立ち歩きが絶えないのは、自分に教師としての威厳がないからではないか?」と若い教師は思ってしまいます。しかし、ベテランの先生は「子どもは学校でホッとしたいと思っている」「子どもが学校に来てくれるだけでよかったと思える」「教師の威厳は振り返ってみる課題ではあっても、追求すべき課題ではない」という話を聞き、安心したのは私だけではなかったでしょう。

 続いて「子どもの目の輝くような授業はどうすればできますか」「教材研究の時間がない」など、授業について話し合いました。ここでは、岩辺先生がどんどん参加者に話しを振っていき、学生、若い先生、ベテランの先生など関係なく、自分の思いを率直に語り合うことができました。

 また、「指導教官の先生に授業について聞いてもいいのでしょうか?」という悩みもありました。若い先生は、「こんな当たり前のことを聞いたら怒られるんじゃないかな?」という不安があって聞くことができずにいます。一方、ベテランの先生からは「今の若い先生が何を求めているのかわからない」「ベテランの先生は、今の若い先生はよくできると思っている」という意見がでました。ベテランの先生と若い先生が思いを語り合い、協力しあう関係をつくっていくことが大切だと感じます。

 そして、残った悩みについては、一枚一枚ずつカードを配り、30秒で答えていくことにしました。ベテランも若手も学生も鋭いアドバイスをして、予想以上の盛り上がりを見せました。ちなみに、岩辺先生の年金の問題、娘さんの結婚の問題もここで解決しました。

 最後に、岩辺先生から若い先生、学生にむけて、メッセージをもらいました。
① 子ども一人ひとりを思い出して、記録をつけること。
② 朝、学校に行く時、授業のシュミレーションをすること
③ 学生へ ・よい教師になろうとしない ・大学でやりたいことをやる ・様々な児童文学を読んで、児童観を取り入れる ・これと思われる教育実践書を読む ・サークル活動を通して仲間をつくれる自分になる。

 若い教師は様々な悩みを抱えています。それは誰に語ることもなく、自分の心の中に閉じこめていたり、「おかしいな」と思っても解決策がわからず、行動を起こせずにいます。しかし、今回、多くの教師が自分の思いを語り合いたいと考えていることがわかりました。これからは、若い教師がどんどん増えていきます。若い教師がどのように仲間をつくっていくかが、これからの教育を大きく左右することになると思います。そして、この学びをつくる会が若い先生がつながる一つの場となれればいいと思いました。

                                                (吉澤 良紀)

    参加者の感想

★教職の現場のきびしさをたくさん聞きました。時間がない悩みを共有する仲間がいない。そうした状況のひとつひとつが教師の権利、専門性、やりがいを奪うものだと思います。「しようがない」ではなく、この不自然な状況をどうにかしたい、そんな有志と出会える場になればと思っています。そういう意味では、教師も私たち民間も同じつらさであり、同じ希望を抱けるのではないかと思います。若手現職の方々がかかえている悩みを聞くことで、これから教師になるきびしさを感じつつ、それに対する意見を聞き、心強く感じました。又こういう機会があれば参加したいと思います。

★はじめに岩辺先生のアニマシオンがとても楽しかったです。進行の先生方ととてもフレンドリーになれた気がして、分科会が緊張することなく(少しはありましたけど)いろいろなことを学ぶことができました。先生方の悩みだけでなく、学生の悩みも取り上げてもらえたのは本当に感謝しています。ありがとうございました。

★いろんな意見が聞けたし、ベテランの先生方のお話もとても参考になりました。でも「若い教員は悩むものだ」みたいな感じが・・・。私はできないことはたくさんあるけど、それで悩むよりは「もっとこうしたい!」というものをたくさんもちたいと思っています。そのための大事なことも今日はたくさんきけて良かったです。

★若い先生・学生の方がたくさん集まり、とても充実した時間をすごすことができました。悩みなどを素直に出せ、本音で語り合える場があると、これからもとても役に立ちます。今日はありがとうございました。



第三分科会
「恵まれない子ども」って実際のところとどんな子なの?

 担当 竹内弘真(写真家)・本山明(葛飾区立本田中)

  10人の参加者(内容からみてもったいない!)を4班にわけ、模擬授業形式で、竹内さん、本山さんのタッグマッチの幕があがる。私はちょっとはすに構えた中高生になったつもりで「どんなしかけがあるかわからないが、かんたんには乗ってやらないぞ」と思いつつスタート、まず、アンゴラってどんな国?というクイズである。社会データの一覧表が穴あきで張り出され、各班に解答の単語・数値を記したカードが配られた。相談して空所に貼っていけという指示。「アフリカの西海岸の小さな国だろ」「でも面積は日本の何倍?」地図のイギリスと見比べイギリスと日本を比べて(おお、算数の量の授業の間接比較だ)「3倍くらい?」と「3」のカードを貼る。「時差は何時間?」「グリニツチと9時間で日本が東経130何度でアンゴラが15度だから・・・8時間」。数学教師でも(だからではない)このくらいの暗算はできる。「え、在日アンゴラ人と在ア日本人の数は?」「こりゃ少ないよ、政府関係者だけだろ」「在日が24人、在アが7人かな」実は反対だった。日本の大使館はなくても商社マンがアンゴラにもいる。(さすがエコノミックアニマル)「18歳以下人口の比率?」「平均寿命??」「???」気が付かない内に「熱く」なっている自分がいる。もうここで仕掛けにはまってしまった。

 続いて戦争孤児やストリートチルドレンの保護・教育施設である「子どものまち」が紹介される。インタビューに対する答えを想像する。ワークシートが配られ「Q:あなたが一番しあわせを感じるのはどんな時ですか?Q:一番不安を感じるのは(気にかかっているのは)どんなことですか?」とある。これに自分自身の答えを書き、さらに「子どものまち」の子どもたちの答えを想像して書くのである。私が一番しあわせなとき??やっぱり「一仕事終えてほっとしてコーヒーでも飲むとき」かな(私はアルコールはだめ。仕事中毒だなあ)気掛かりは30すぎてもパラサイトをやつている独身の長女長男の行く末??「子どものまち」の彼ら彼女らはどう答えるだろう。「友人といっしょに食事をするとき」がしあわせで「家族や知人の安否」が一番気掛かりなのだろうか。

 実際の答えはショッキングなものだった。一番しあわせも気掛かりも「勉強する」ことだという。これを聞いたとたんに思い出したことがある。それは大石芳野の写真展「ベトナム凛と」に出てくるベトナムの若者たちや田沼武能の写真展「60億人の肖像」に出てくる学校の映像での子どもたちの瞳の輝き、そして夜間中学に通うご老人たちの心からの楽しそうな表情、そこに共通する「学ぶ喜び」「学ぶことの輝き」にここで出会うとは思わなかった。石川達三の小説「人間の壁」の中の、小学生が教科書とノートをもって家でしたことに尾崎先生が胸をつかれる場面にも通じるものがある。人間は存在そのものが学びを求めている、と思い知らされたことだった。そして、子どもたちのインタビューでの問答をみんなで読んでいく。上のことが一人ひとりの子どもの色合いでリアルに伝わって来る。このあと「子どものまち」に起きた武装勢力によるらち事件をきっかけに竹内さんが「自分のもつている知識の質が問われた」という体験や写真を通して「子どものまち」に体験するバーチャルツアーと続く。教室で実践すれば、僕の感じでは少なくとも7~8時間はかかるだろうことを3時間で体験した。それだけに「疲れた」が濃密な時間であった。貴重な体験をさせてくれた竹内さんと本山さんに感謝!!である。     

 (増島高敬)

  参加者の感想

★ほのかな光がまた見えてきました。今後、アンゴラとの交流をどのように進めていったらよいか、また模索するヒントを頂いたと思っています。授業としての展開もおもしろいですね。城南中でも、なんらかの形で今度は「想像する」ことをやってみたい。

★実際にアンゴラに行かれていた竹内さんの言葉は、本で得る知識よりも重く、心に響いてくるものでした。今日、アンゴラについて知ることができてよかつたです。学んだことを友人などに広げていき、日本の子ども、学びについても考えていけたらいいなと思いました

 

第4分科会
「子どもたちの現在(いま)を読み解く――作文教育を通して――」

佐藤 賢一(日本作文の会・墨田区立花小学校)

 佐藤先生は40ページにも及ぶレジュメを用意してくださいました。そこには佐藤先生がいま担任している子どもの作文・去年担任していた子どもの作品が載っているお便り・そして以前に出会った子どもちの作文や日記が佐藤先生のコメントとともにぎっしり詰まっていました。去年の子どもたちの詩には、音楽の先生が曲をつけ、歌ってくださっているテープがあり、それも聞かせていただきました。

 子どもたちの書いたものは、その子に了承を取って公表し、みんなで考えあったりすること、授業の中でみんなと一緒にやれた喜びや心地よさが体感できると体の不調を訴えることが消えていったという丁寧ですてきな報告がありました。

 討論では、現代の子どもたちが不安や危機の中で生きていること、だからそういう不安や揺れを聞き取ってくれる先生がいることの安心が確認されました。想いを聞き取られることなしには、子どもたちは一歩も踏み出せない。いろんな形で子どもの思いを聞き取っていくことが大切。また、子どもは、自分がこれを獲得したと思う時に変わっていく。佐藤さんの授業実践報告の中にあった詩の群読のあと、頭が痛い、お腹が痛い、と訴えていたその訴えが消えた子は、今まで自分になかった力を自分で発見したのだろう、そのようなことが語り合われました。    (荻野 佳津子)

        参加者の感想

  ★ 時間が足りない!と想うほど、いい時間を持つことができました。実際の現場の先生のお話を聞けるだけでもすごく勉強になるのに、自分の意見を聞いていただくことも出来て本当によかったです。

 ★ 佐藤先生の提案は、子どもの文・日記の具体的名世界がみえ、その表現のひとことの中に、今おかれている子どもの世界がみえ、よかったです。「先生さみしいから来てよ」「先生がさみしがるから来てやったよ」という子どもとの交流。子どもをうけとめ、支え、交わりをつくりだしているとりくみに、心を打たれ考えさせられました。

 子どもの状況・親の状況・それぞれの状況、もう少し多くの教師がいて発言し、交流し、分析できるとよかったです。時間がありませんでしたが。