第5回集会


生きる力を支える学力とは何か
               佐貫 浩(法政大学)

(1)人と人とが出会い、交わることが困難な時代
 毎日、何を考えても怒りがわいてくるというのが正直なところです。最近『人間と教育』
という雑誌で横湯園子先生と片岡洋子先生が対談していましたが、そこで、おとなが子どもぎらいになっている。子ども恐怖症(子どもフォビア)になっている。子どもととりくむ職業についているおとな、学校の教師が生徒恐怖症になり、保育園の先生が幼児恐怖症になっている。忙しさも含めた仕事のシステムの中に、子ども恐怖症、子ども嫌いになる仕組みが組み込まれつつあることが指摘されています。一方子どもは、大人に監視、管理され、いやな無理難題を押しつけてられて、大人嫌い(大人フォビア)になっている
前回の「学びをつくる会」の講演で、汐見稔幸さんは、ひきこもりの問題を指摘されていました。そのひきこもりが数十万、登校拒否が13万――これは全生徒の約1%強――、その中のかなりの部分の人たちがおとなになってもひきこもり、そのままで人生を終えてしまう人まで出てくるかも知れないところに来ている。
 また、学校では成績がよくなくて脱落してしまった子どもでも、地域に細々としたものであれ地場産業があり、商店が経営を続けていれば、その中にそういう青年をひきとって、「おまえも結婚もして、子どもも育てて生きていかなければならないのだから、いつまでもツッパッていないで人間として歩めるようなたくましさを身につけろ」と地域の大人に囲まれて、励まされて自分の位置を回復していくような人間としての社会的参加のための訓練の場として、就職の場が地域に提供されていました。
 ところがグローバルな競争の中で地域が破壊されると、こういう青年たちはもう一回自分の人生を設計しなおしていく場を奪われていくことになります。フリーター417万人という数字はそういうことも含んでいます。高度経済成長の中で、日本は、企業丸がかえではあったけれど、年功序列と生涯雇用の中で、結婚し、子育てをし、住宅をもち、という年々支出が増えていくライフサイクルをわたって、人生を展開していく福祉と給料のシステムをもってきました。しかし、「年収200万円階層」の創出という財界の短期雇用を基本戦略とする雇用の常態化の中で、しかもこの人たちに対する社会保障制度が切り下げられていくなかで、底辺階層の不安定性が、一挙に深刻化してきています。ヨーロツパ社会は失業が多いけれども、国家がライフサイクルをわたっていくための福祉制度で支えているので、人間的な生き方が維持されるのです。ところが日本は企業も国家も福祉的なシステムを剥奪して、「一生200万円で生きていけ」という雇用スタイルを恒常化しようとしているのです。

(2)競争による全体への従属の構造を転換する
 生きる方法は、競争に勝ち抜くことで他者より有利に生きるという方法――それを「競争によって生きる方法」と呼んでおきましょう――だけではなく、みんなが安心できるような社会制度を作ることで、みんながより良く生きられるようにするという方法もあります。福祉制度を充実させるというのは後者の方法の一つですし、格差を減らし、生き残り競争を抑制するような社会制度を作り出すこともそうでしょう。それを「政治によって生きる方法」と呼んでおきましょう。前者の主体は孤立し対立しあう競争主体ですが、後者は協同し合う統治主体ということになります。ところが、日本社会は、いつの間にか、「政治によって生きる方法」が衰退し、「競争によって生きる方法」に依拠してみんなが競い合う社会に純化されてきているのではないでしょうか。学習もそういう論理のなかで捉えられてきています。すなわち「競争の教育」という性格を強く帯びています。

 日本社会のイメージとして、上図のような、上にとがっている三角形を思い浮かべてください。頂点に豊かな階層が配置され、底辺に貧困者や自信を剥奪された者が集められるという階層化された社会構造です。しかしそれに加えて、この外枠の三角形が、社会的・世界的競争にかち抜き、生き延びるべき特別の価値をもった共同社会を意味しているというイメージをそこに重ね合わせてください。個々の企業もそういう三角形イメージで把握されるでしょう。個別の企業は一つひとつそういう三角形の形をし、その中に格差化して社員を配置し、それが日本や世界の競争にかち抜けるよう、内部の競争を通してみんなのエネルギーを発揮させるという仕組みです。1960年からの日本の企業社会では、個別企業が社員全体の生涯の生き甲斐を実現する共同体のような性格を持ち、その内部の格差化された階層を上に昇る社員間の昇進競争によって構成員の発揮するエネルギーを高め、その企業の目的をより高度に実現させることに成功したといえます。
 しかし、このシステムのなかで、人々の独特の意欲の性格が作られていきます。競争が、意欲の源泉となるのです。この上にとがった三角形がそのまま何かにつきささっていくことを、この三角形が目的に向かうこととしてイメージすると、個々人は、内部の競争に勝つこととしてエネルギーを発揮することが、この三角形の目的をより良く実現することとして機能するのです。たとえば、戦前の戦争動員というのは何か強制的にやられたとだけ考えがちですが、子どもたちが陸軍士官学校をめざして、エリートコースに乗れば、みじめな二等兵のような状況がない、出世して妻子を豊かに養うことができるなどと考え、競争に勝ち抜いてエリートに就くことをめざしたのです。しかしそのエリートとは何かというと、日本の侵略戦争の先頭にたって国民を指揮していく人間なのです。しかしその全体の目的は強固で変わりようがなく、より良く生きるためには、上に昇ることだけが残されているという構造になっているのです。すなわち、その三角形の目的自体は、批判の対象とはならず、三角形の形で組織された競争のどこに位置づくかということに自分の存在がかかることになり、その競争のルートをのぼっていくことが結果的にはその全体の価値を積極的に実現することとして機能しているのです。すなわち競争を介して無意識のうちに、その組織や社会が持っている目的に同化させるシステムでもあるのです。
 そういう競争のシステムは戦後も続きました。あるいは1960年代からの企業社会は競争のシステムがより純粋に、個々人の意欲を組織する形で展開したとも言えます。競争は当然、その組織の目的をより良く実現できる能力の競争となり、そのことを通して個々人をその目的へと同化、道具化していきますが、個々人にとっては、その目的は、いわば外から強制される目的であって、その目的は競争に勝つという意欲を介して受容されるわけです。またその人の価値は、その全体の目的を実現するための能力によって評価される。自分の価値、すなわち労働能力ですが、それがどれだけ会社に貢献するものであるかによって、自分の人間的価値が評価されるシステムになっているのです。
 その価値が何の目的をもっているかではなしに、大きなワクの中では三角形のもっている目的をどれだけ達成できるかという順位の価値が自己目的として探究されるのです。それは自己喪失の構造といってもいいと思います。一生懸命企業の目的のために全力つくしてきた人が定年になって、ハイおしまいとなった時に、自分はいったい何のためにやってきたのか、見えなくなります。それと自分が生きるということとどうつながってきたかということがみえなくなってきます。ただ、三角形の中で競争が組織されて、その中でどんな順位をしめるかということに全力をあげて自己の能力を費やしていく。それは全体=組織の目的に人間を従属させていくシステムではないかと思います。
ここで考えてみたいのは、日本社会というのはそういうシステムを強固につくりだして、国民全体をこの三角形の中にくみこんでいく機能を戦後のおいても、とりわけ1960年代からの企業社会のなかで果たしてきたのではないかということです。それは、競争を介して、みんなが“全体=外枠の価値へと動員されるシステム”と呼ぶことが出来るのではないでしょうか。それはまた、この中で自分というものが永遠に明確化されない、太っていかないということになります。早くから競争の世界で競わせるということは、とりわけそういう性格を強くします。
 たとえば、子どもが小さい時に保育園につれていかなければならないときのことを考えてみましょう。朝遅く起きて、保育園に登園させるギリギリの時間に、食事を食べさせることになると、時間がありませんので、「早くたべろ」と子どもの口に押し込むように食事をさせる。そういうことをくり返していると甘いジュースしか飲まないということにもなります。保育園への道も、子どもは関心旺盛で、たんぽぽでも咲いていれば、見てみたいとか、さわってみたいとか、寄り道ばっかりします。しかしそんなことやっていたら、時間が間に合いません。結局子どもの手をぐいぐいひっぱって、子どもの旺盛な関心を断ち切って、一直線に保育園に行くという毎日になってしまうのです。これは私の子育ての反省でもあるのですが、親の都合に従う良い子とは、自分の関心を持たない子、親の与えた課題に従う子、ということになっていくのです。日本社会は個人の内面の疑問や関心をゆっくり成長させていく余裕を奪い、小さい時から子どもを親の都合に押し込み、良い中学にいかないとダメだとか、高校受験に勝つためにはよけいなことを考えないで勉強せよとせき立ててきた。自分の本当の意欲とか関心は「雑念」であって、それを抑制して純粋に勉強のために全力をあげて集中していく人間、自分の関心を断念できる人間がもっとも道徳的であり、良い子で、競争に勝つことができる人間だとなっていった。子どもが大人嫌いになる基本的な仕組みがここにあります。結局この外枠としての三角形の競争システムにどれだけ積極的に同化できるかが勝負を決するということになってきたのです。
 そういう文脈の中で、自分の関心や自分の要求、自分の矛盾を解くための学力ではなしに、競争があって、そこで設定された課題をどれだけこなせるかという能力を徹底して訓練する、すなわち自分というものと断絶された学力を獲得することによって、競争に勝利ために、学習が組織されてきたのです。
 それは、内面に突き動かされた創造的な意欲を土台にして、だんだん社会の形をつくりあげていき、その上に創造的で多様で、生きていることが同時に自己実現につながるような社会のありようとはまったく対極の社会であるわけです。外枠の三角形にどれだけ同化していくかという競争によって、個々人がある局面ではすごいエネルギーを発揮するけれども、その競争が消えた時には、オレたちは一体何のために生きていたのかわからないという恐ろしいシステムの中で、日本社会は人間のエネルギーをしぼりあげてきました。これは今も変わっていません。私は、21世紀社会が、本当に人間の生きがいを実現し、人間の創造性を引き出すようになるには、このような外枠としての強固な三角形が最初からあって、そのどこに位置づくかということを競争的に組織するシステムではなく、個々人の内部から展開していく多様な目的や関心を持った意欲が、いろんな形をとりながら展開し、それが他者のそれと交わって、やがて社会の形になっていくような社会が作られる必要があると思っています。これこそがみんなが自己実現できる社会で、この社会は最初の効率は悪いけれど、みんなの創造性が発揮された時、親しいものであると共に高いエネルギーと創造性が発揮されると思います。そういう社会は、みんなが自分の目的を探り当てるのには最初は時間がかかるけれど、高い発展性を持つものになると思います。そういう社会に日本社会をくみかえる仕事、社会構造を転換させる歴史的課題に私たちはいま直面しているのではないでしょうか。学力もまた、それに沿うように組み替えることを考えてみる必要があると思います。

(3)学習意欲の歪み
学習意欲の構造を考えてみましょう。学習意欲のは、三つの形があるように思います。 第一の学習意欲の形は、生きることに直接結びついた学習意欲です。そもそも人間は生きるために学んできました。ここに古来からの基本的な学習の原型があります。学校のない時代から、人間は生きるためにさまざまな技術や能力や文化をみんなが一生懸命継承してきたわけです。そこでは、なぜ学習するかは明確でした。狩りをする力を身につけることによって、人間は一人前と認められ、その共同体をささえることができ、共同体にとって不可欠な人間として評価され、自己実現できるという形で学習の意味は明確でした。
 ところが学校というものが生まれます。学校は生きるということから切断して設定されるのです。極端な言い方をすれば、子どもは生きるという直接の課題を背負わなくてもいい、いわば働くことから解放されて学ぶ場として学校がつくられました。したがって、学校は、働くこととはきりはなされて、文化や科学の体系を学ぶことを求められる施設として出発しました。この中での学習意欲は、生きることと直結した学習意欲とは異なって、文化をわかることでおもしろいことがわかったり、遊びが豊かになったり、物事がちがってみえたり、認識が開かれるということに即して、興味が展開していく。たとえば星の世界とか虫の世界とかがみえることでもっとこんな虫を調べてみたい、こんなことを調べてみたい、という要求が展開していくのです。認識それ自体は単に知識として身に付くだけではなく、社会の諸現象や自然の諸現象をことなった相のもとに新しく切り開いてくれることから、認識的興味が展開していくことで、学校は学習意欲をつくりだす機能をもったのです。これが第二の学習意欲の形です。
 ところが認識的な側面から学習意欲が展開することが閉塞状態におちいることが多くなってきました。特に日本の1970年代から、その問題が深刻になってきました。それは知識がつめこみになって、大量の知識を教育しなければいけないといういわゆる詰め込み教育が進み、1970年代のはじめには教師の実感として生徒の半分くらいが授業についてきていないという状態がおこりました。しかも授業についてくるという意味は、だいたいテストで50~60点はとれるということだと考えると、実はその状態は、勉強がおもしろくてもっと勉強したいと思うような学習意欲の循環が働いている状態とは違うと思います。勉強がなかなかわからなくても機械的な操作方法や記憶の訓練で、当面のテストを乗り切るということはある程度できます。そういう意味では半分よりもっと少ない子どもしか、この第二の学習意欲を感じていないのではないでしょうか。大学に入ってきた学生の多くも学習を苦役として取り組んできた、もう勉強はしたくないと思って大学に入ってきているというのが、大勢であると私は感じています。
 そういう意味では学習意欲が衰退していくわけですが、60年代から80年代ぐらいまで現象的には非常に高い学力をうみだしたわけです。受験学力といわれるものですが、そういう意欲は、競争によって生み出されて来ました。この学力競争で勝てなければおまえの人生はおしまいだ、競争から脱落すれば未来の人生はなくなるという恐怖のもとで子どもたちは学習に励むという所に追い込まれていったわけです。それが第三の学習意欲の形です。そこでは苦役としての学習と競争に勝つためのはげしい学習意欲が一体となって、日本の子どもたちが到達したある種の高い学力が実現されました。だから学びからの逃走というのはなにも1980年代や90年代にはじまったのではなく、実は高学力を獲得させるシステムそのものが子どもの中に深い学びからの逃走、学習嫌いを拡大しつつ展開していったのです。
 こういう学習意欲の形は、人間が学ぶその学び方に、根本的な欠陥を組み込むことになったと思います。学習意欲論を展開した重要な成果として、坂本忠芳先生の「学習意欲論の試み」(『学力の発達と人格の形成』青木書店1979年)という論文があります。その中で重要な論点が展開されています。坂元さんはそこで、「学習意欲には人格的側面と認識的側面がある」といういい方をしています。小さい子どもは遊びたいという人格の内から突きあがってくる意欲にしたがって学んでいくわけですが、年齢が上がるにしたがい、認識そのもののおもしろさにひかれて学習が意欲される面が展開する。これが思春期・青年期を経過していくなかで、人間の根本的な生きる目的、哲学的・思想的目的と学習とが再び結びつけられていく、人間の生きる意味と学習することの意味がふたび結ばれる地点があります。ただし、それは学習目的が、認識的側面の発達に支えられる形で、人格的側面を支えるような仕方でつながっていくという高度な統一の形を取る。したがって学習それ自身が世界の意味、人間の意味、世界の価値、人間の価値に認識を開いていくような質を持つことが不可欠になる。人間はなんで生きているのか、歴史はなんであったか、人間はどのようにして豊かさをつくりだしていくのか、人間が、そして自分が生きる意味は何か、というような人間存在や歴史の意味そのものを問う問いが成長していきます。そういう問いを介して、認識的な学習意欲と人格的な学習意欲が再びつながり、学習の意味が人格の根本から再把握されます。この時点では勉強は、たとえ死ぬほど苦しいものであっても、それをやっていく価値のあるものとして把握され、いわば全人格を賭けて学習が意欲されます。大学生とはそういう意欲に支えられて勉強する主体であるはずなのです。
 しかし日本の場合は青年期を高校生の時代に展開させない。それは、学習が社会から閉ざされているからです。社会のことに関心を持つ必要なんてないよ、社会というのは競争社会だけであって、競争に勝つためには、与えられた課題を達成できる学力を身につければいい、という仕組みのなかで、青年期をパスしてきているからです。青年期としての内実を剥奪された青年期を日本の受験生は送っているのです。だから競争に勝つということ以外の人格的な学習目的はいっこうに展開していきません。競争があることによってのみ、学習が意欲されます。したがって大学生になった時に自分の学習を支える人格的な目標や歴史的・社会的な自分の存在意義の自覚を欠いて、なんのために学習するのかに答えられないのです。大学生はしたがってそのままでは、再び就職競争がかかわってこないと勉強する意欲が沸いてきません。就職競争のなかで、再び「資格」のためにダブルスクールで努力するなどまた一生懸命勉強し、企業にはいって、相変わらず先程述べた外枠としての三角形の中で自分の位置を求めるための競争に邁進するということになるのです。学習意欲は相変わらず、競争によってのみ喚起されるというわけです。すなわち、このような競争によって喚起される学習意欲が、真の意味での人格的な目的と学習との再統合を妨げるものとして機能しているのです。

(4)学力観の問題

 そのことは、学力の構造、あるいは学力の歪みと密接な関係があります。日本の中にある学力イメージをふたつにわけて考えてみたいと思います。学力ベクトルの図をご覧ください。ひとつは「知識の使いこなしを重視する学力ベクトル」、矢印が、上にむかっているものです。それから矢印が横にむかっているのは、「知識の量を拡大するベクトル」です。三角形で示されているのが、私のいう「学力の全体構造」です。下のほうにある台形は各学年で獲得すべき基礎知識です。日本の学力というのは基礎知識をどれだけ獲得しているかが学力として重視され、この量を増やすことで、受験競争で勝利していくという性格を強く持っています。だから学力を身につけていくということは、たとえば3年生だったら、4年生の知識も身につけてしまえ、そうすればすごく学力があがる、となります。ところが本当の学力とは、ある知識を身につけて、それを土台にして自分で考え、分析し、創造し、自分の生活をゆたかにしたり作品をつくったりしていく、そしてそのプロセスの中で考え、分析し、創造する人間の能力が豊かに展開されるわけです。この部分(三角形の上部)を育てないと学力は能動的になりません。
 しかし、受験の圧力からいえば、横のほうに広がることが便利なのです。それを促進しているのは、①追いつけ、追い越せ型の外国の高度の科学技術輸入に力点を置いた、いわゆる「後発型国家」教育の特徴が継続されていること、②小さい時から学力競争を強化し、小刻みに、ハードルを細かく埋め込み、競争の「恐怖」で子どもを学習にむかわせてきた過剰競争システム、③日本の入学試験がとりわけて知識の記憶量や単純な操作能力を評価するものになっており、その部分を競わせる効果をもっていること、④40人学級にみられるような、一方的な知識の詰め込み型学習スタイル、⑤思考し、自分の意見を形成する自立的な学習主体、市民へと子どもを育てるために不可欠な表現の自由が制限された学習空間、こういう要素です。とりわけ小学校にはいる前に小学校受験だとか、中学生になる時の中学校受験だとか、高校になる時の高校受験だとかいう何年か刻みでの競争があると、やっぱり知識をたくさん身につけて受験競争に勝つという学力が必要になってきます。そうすると上方向に学力を展開させていく余裕がないわけです。どんどん横ベクトルの学力が広がっていきます。そのことが学習のおもしろさを味わわせることや、学習を子どもが生きる課題とつなげることを妨げるのです。

(5)習熟について

 学力の全体構造を図のような三角形で表してみたいと思います。下に基礎知識があって、真ん中に習熟があって、一番上に創造的な学力あるという構造です。これは学力の獲得の順序を下から上へという形で示したものではありませんのでその点注意してください。知識が土台となり、習熟の層があり、その上に創造的な学力が展開するという構造を示したものです。習熟について説明しておきます。
 習熟についてはいろいろな議論があります。私は、習熟とは、獲得した知識を課題解決にむけて利用・動員するために必要な基礎能力の形成過程と考えます。その要素は①既知である処理過程を迅速に処理する処理能力の形成と熟練、②知識や技、技術について、それを課題にむけて組み替えつつ適応できる豊富で多面的な理解、③探求と創造の過程で働かせる分析、判断力、認識力、応用力などの形成、の三つがあると思います。
 習熟を二つの過程に区分することもできます。ひとつは、無意識化の過程と呼ぶことができます。無意識に、自動的に処理できるようにする訓練、マニュアル化された処理過程の習熟です。これは「定型的熟達化」とも呼ばれます。この習熟過程は、自分の関心や意欲をくみこまず、無意識のうちに処理してしまうということです。もうひとつは、②と③の要素に対応する習熟で、解決方法が未知な課題を処理するための基礎的諸能力の蓄積の過程です。それは、探求・創造・表現の学力を獲得する過程と重なります。未知の課題と取り組んでいくためには、何回も失敗しないとダメなのです。失敗するという過程はその中で自分の知識をもう一回理解しなおすとか、自分の獲得していた力量を組み替えるとか、自分が働きかけようとしている対象について認識をだんだん正確にしていくとか、そういうプロセスを何回も何回も繰り返すことで、物事の焦点にせまっていく能力が次第に蓄積されていきます。新しい課題を解くために知識や技術を使いこなすためには、何回も使い直さないとダメなのです。それらの過程は、常に新しい課題を意識化し、その課題と自己の力量とを対決させ続けることによって成し遂げられる習熟であるという意味で、意識化としての習熟と呼ぶこともできます。これは「適応的熟達化」とも呼ばれます。
 実は日本の教育の中で、獲得した知識が自分の主体的な課題を実現する力にならないというのは、この意識化としての習熟が保障されていないことが非常に大きいと思います。何回も試行錯誤し、やり直しを経験するという余裕が残されていないから、知識を使えないのだと思います。受験との関連では、学力の全体構造の下の台形部分の基礎知識をテストで思い出せるようにだけ、徹底してそれを機械的に習熟して、使いこなせるようにするという、習熟の第一段階(無意識化としての習熟)だけをくみこんで、どんどん横のベクトル(知識の量を拡大する学力ベクトル)に学力を展開させていくという形になるわけです。だから、自分で未知の課題を解いていくような方向には学力は展開していきません。
 習熟とは、自分の課題と自分の身につけつつある学力、諸能力とをつなぐ力を獲得するという意味を持っているのです。底辺の基礎知識だけでは、自分というものは組み込まれていません。客観的な知識だけですから。人間が生きるということと学力がつながっていくためには、その人間が何をどうしたいかという自分の課題と学力とを結合しなければなりません。その両者をつなげていく過程が、徹底した意識化としての習熟と、創造的な学力を展開するプロセスなのです。そういう全体性を持った学力をどう子どものなかに形成するかが大事だということを強調しておきたいと思います。

(6)内面の豊かさをどう築けるか――学習をそこに結びつける
 以上のような学力についての私の論理の枠組みを提示した上で、今日、一番考えてみたいことは、子どもの内面の豊かさをどう励まし、育て、それと学習とを結びつけるかということです。
 人間が自分を成長させていく時に何が大事かというと、自分の課題ととりくむことが大事だと思います。でもその自分自身の課題、自分の内から提示されてくる課題が課題化されていない。なぜか?それは競争というシステムの中で、人間が獲得すべき能力は、与えられた知識を使いこなすことだというメッセージが徹底して与えられているからです。しかし、人間が主体的に本当に成長する時は、自分の直面している固有の課題と取り組む時です。そしてそのためには、意識化ということが不可欠です。自分のなかにある課題を意識化し、同時に自分の生きるということの大事さと愛おしさを、そしてそういう課題を生きる自分の尊厳を、とらえ返すことです。
 意識化とはどういうことでしょうか。たとえばひとつの例を挙げてみましょう。芦名猛夫さんが『正義の風を学校に』という実践記録を出されています。いじめととりくむという実践です。生徒の中心的な部分と先生がいっしょになってとりくんでいくんですが、ある段階でうまくいかないのです。なぜか。生徒の方から本音が出て、「そんなこと言ったって、いじめているヤツらは暴力で支配しているんだから、僕らがなんか言ったって、そいつらに一喝されれば何もいえない。こわいからそれは無理だよ、先生」となるわけです。それで先生と生徒がまた話し合っていきます。ある子がいじめられていて、それを誰かに訴えて、救おうとしても、それは子どもたちの中でキタナイこととして把握されています。チクル、密告するということです。「いやらしい、あいつら自分でいえないから、他人にチクッてやがる」ということになります。しかし、日本国憲法を考えてみたら、チクル権利は実は「表現の自由」であり、「裁判を受ける権利」です。チクルことを通して人類は人間の人権を守ってきたのです。したがってこの憲法の理念を教室で実現しようとすれば、みんながチクル勇気をもたないと人権は守れない、というふうにひっくりかえしていく。それから人間の人権というのは、抑圧する暴力とたたかうことによって、はじめて克服できるんだから、暴力がこわいからできないというのでは、人間の人権を守れるわけがない。だから「自分に暴力が向かってきても、“チクロウ”という勇気をもとう」とみんなに呼びかけていく。こういうふうに、自分たちが直面している困難の性格は、日本国憲法に書かれている人類的正義を自分たちが今勇気をもって実現できるかどうかという課題なんだという風に、生徒の直面している問題の性格を「意識化」させるわけです。
 また、いじめは、いじめをやっているヤツが悪いといいますが、いじめは中心に「いじめ被害者」がいて、その外側に「加害者」がいて、そのまわりにはやしたてる「観衆」がいて、さらに外側に「傍観者」がいて、それを止めるはずの正義の「介入者」がいなくなっているから起こる。何もいわない者がいるから、いじめがおこっている、だから何もいわない者はいじめを作り出している張本人の一部分だということに気付かせ、自分たちが変わらない限り、いじめはなくならない、いじめをなくすための課題を自分が背負っているのだということを「意識化」させる。いじめをなくすということは一人一人が変わり、勇気をもって憲法に書かれている人権をこの教室で行使できる人間に成長できるかどうかにかかっていると課題化(「意識化」)することを通して、子どもたちを自らの生き方を作り替えていく勇気ある主体へと成長させていく。
本来ことば・概念というものは、深く把握されたときには、世界の見え方を違って見えさせ、課題を意識させる力を持っている。内面で、ぐちゃぐちゃっとして、どうすればいいかわからない混濁した意識を明確にし、課題化し、その課題を教師も一緒に生きることによって、生徒をはげます。そのことによって、生徒たちは民主主義や人権などを実現する闘いに勇気をもって挑戦していきます。そういう形で課題と出会うことによって、子どもたちは自分を急速に飛躍させていくことができるのです。そういう生徒の内面世界に教師が共感し、支え、共に生き、それを豊かにしていく。そして学習を、そういう生徒の内面世界の意識化と重ねて組み込んだいくことが大事だと思うのです。今述べたのは、自由や平和や人権や民主主義という課題ですが、社会科の学習課題というのはまさにそういう焦点を持っているのではないでしょうか。
 石田和夫先生という岐阜県恵那で綴り方を中心に展開された先生がいます。石田さんの言葉を借りれば、「内面の真実」と言うことができます。子どもの中に、この「内面の真実」を発見し、子ども自身に勇気をもって把握させ、その内面の真実を実現するために格闘する子どもを育てる教育が子どもの本当の大きな力を引き出すのだと思います。
 1950年代に石田先生に教えられた安江さんという女性が1990年代に手記を書いています。「綴り方を書いていたころ、自分が迷った時に、おそろしいほど冷静に、自分をみつめて、これではいけない、このようにしなければいけないというふうに自分を見つめているもう一人の自分が自分の中にあった。その格闘する自分をいつもはげまして、あなたの勇気をもった選択はまちがっていないから、がんばって進めという、とメッセージを送っている石田先生の眼差しを常に私のなかに感じていた」という趣旨の手記です。
 私は生活綴方の教師がすぐれているのは、子どもの内面の世界を子ども自身に自覚させ、その内面の世界のもっとも価値ある人間的真実をはげましている教師が自分のそばにいてくれるという生徒と教師の共同をつくりだしていることだと思うのです。これは今泉博先生の『どの子も発言したくなる授業』、岩辺泰史先生の『ランドセルが運ぶ風』などにも共通して感じる特徴です。
 岩辺さんの実践記録のなかで、生徒のひとしくんに詩をおくっています。「楽しみだなぁ、君の行く道、ガッシガッシと踏みしめ、歩めよ、ひとし・・・」――その生徒が高校で山岳部にはいって山にでかける時、リュツクサックを背負うと「楽しみだなぁ、君の行く道、ガッシガッシと踏みしめ、歩めよ、ひとし、いってきます」と言ってでかけるのだということが書かれています。岩辺先生の目が、その子どもの内面の中にはいりこんで、課題に挑戦していく時に「しっかり足をふみしめるんだ」と教師がいつもみつめてくれている、という形で内面を励まし、意識化する力として働き続けている。
 山崎隆夫先生の『パニックの子・・・』という実践記録がありますが、その中でたかしくんという非常にあれている子どもですが、その内面の中にある輝く人間的側面、たとえば黒板に自分で解答を書いて、もう一回みつめて「あっ間違っていた」というふうにひそかに叫んだ、「あっ」とさけんだことを「自分の間違いを自分で気づくなんて、こんなすばらしい」と意識的にとりだして、内面の自分の誤りを自分で訂正しようとするこまかい繊細な意識をもっているということで彼の内面をほめ、はげまして、クラスのみんなにも紹介して、彼って繊細な人間的な注意力をもっている、とみんなではげましていくという関係をつくっていきます。そういう内面の機微を把握し共感して、内面の動きの振幅を拡大し、それを人間としての価値ある生き方として意識化し、太らせようとしている。
津田八州男先生という青森の先生がいます。『きかんしゃの詩』という感動的な実践記録を出されています。津田先生は、子どもの中の心のふるえ、いろんなことで子どもは悩んだり、心をふるわせている、そのふるえを取り出し、共感を広げていこうとします。でも、最初は、みんなの心は閉じている。なぜか?人と人とが出会う時に、互いに攻撃の対象として構えている。小学校の一年生が教室で集まった時、自分の気にくわない人間がいたら、えんぴつでつきたてるような恐ろしいことまで平気でやってしまうような雰囲気の中で、自分の内面の真実を共有しあえる安心した空間がない。いつ攻撃が自分にむかってくるかわからない恐ろしい不安の空間になっています。そこでは内面を閉じていくしかない。自分の本音をはいたとたんバカにされる。そういう状況の中で、津田先生は、子どもの中に輝いている内面のふるえを意識化してとりだし、はげますことを通して、そのふるえる思いこそ人間としてもっとも大事なものだとはげまし、それを機会をみて文集に発表して、その子どもの心のふるえをクラス全体に広げ、さらにその学級新聞を親がみて、「**君はこんなことを考えているんだから、あんたもはげましてあげなさいよ」と親が子どもに対して話す。そういう中で教室空間は、ともに安心して、自分の心の琴線に触れる思いを表現して、みんなを信頼していっしょに生きていける空間になっていく。
 無着成恭先生の『山びこ学校』も、あと二年か一年したらみんな農民になって、貧しいなかで生きていくしかない、この貧しさを克服できる道があるのかどうかという子どもたちのもっとも切実な課題意識にその教室空間、学習空間が開かれたことで、教師も生徒もいっしょになって全力をあげて学習した。NHKで「輝け命・・子ども」という番組をやっていました。あの中で金森俊朗先生の『命の授業』がありました(実践記録は『いのちの教科書』)。おなじような感じをうけました。

(7)人間的な課題を支え合う協同を土台に、学びの協同を作り出す
 最初に述べたように、今、子どもたちは大人恐怖症になり、大人が子ども恐怖症になっている。最初の対談で、横湯さんが紹介していましたが、あるお母さんが横湯さんのところに相談にやってきて「もう私はこの子どもを育てることができないから、だれかもらい子をしてくれる人を探してほしい」というのです。しかもその子どもの目の前で「私はこの子どもをいい高校にいれる自信がなくなって、この子どもをもう育てることができない」というのです。子どもの内面に親の想像力が及ばなくなっている。子どもと共に生きることができなくなっている。
 先ほどいいましたような外枠の価値に子どもを合わせようとして、そのためにもっとがんばれ、がんばれと脅迫的に励ます。そこに行けない人間は自分の期待に応えないだめな人間だというメッセージがだんだん強くなる。子どもの内面にうずいている思いを無視して、その競争のシステムのなかで、できるだけ高い位置を獲得できるかどうかで、人間の値打ちが決められてしまう。子どもの内面が閉ざされ、自分を競争に追い立て励ますメッセージが、次第に自分に対する攻撃性を持ったものに見えてくる。まわりは全部自分に対する攻撃者として、子どもはおとなをおそれ、またそういう目で大人をみる子どもをおとなは理解できなくなる。大人と子どもの敵対が広がるという困難が拡大していくのです。 それに対して、今の教育政策はどうなっているかというと、もっと競争を強化していくという方向に急速に動いています。
 「ニュー・パブリック・マネージメント」という教育行政の新しい動向が強められています。総務省がだしている文書があります。その中では、「上」=行政トップが決めた目的をどれだけ達成できるかという効率性の論理が中心におかれています。効率性をあげるには、「下」においては「上」で決められた目標をどれだけできるかということをみんなが創意と自発性をもちよって、みんなが目標を出して、その目標にどれだけ到達できたかということで点数評価や給料処遇を格差化して決定するのです。したがって、「上」の目標自身を組み替えるなんていうことは「下」の人間は絶対やってはいけないということになります。まさに東京の教育行政が今やっているようなことです。そうすると教師は、学力テストで学校の成績をあげるという目標に追い立てられ、子どもの内面の世界とは切り離されて、子どもを競争に駆り立てるという形でむきあわざるをえないのです。そうなってきた時に「子ども恐怖症」と「おとな恐怖症」がより深刻な形で衝突せざるを得なくなるのではないでしょうか。
 そうではなしに、その大人(教師)と子どもの間で、お互いが内面の中でもっとも重要な、心がうずいている課題を意識化し、はげましあい、自分を支えてくれる教師がいる、友だちがいるということで、教室空間がともに学びをすすめていく空間になるという形でこの教育の困難を突破しなければいけない。だから今のままの教育行政が続くと、基本方向がまったく違う方に向いてしまう。今日の政策が展開していく先では、人間どおしが敵対し、孤立しあうような方向へ教育もくみこまれていくのではないかと恐れるのです。
 もちろん、教育の世界だけで困難が解決されるわけではありません。そういう学習の論理を支える協同の論理を、社会そのもののなかに組み込んでいかなければなりません。熊沢誠さんという労働社会学を研究している方がいます。その人が『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』(現代教養文庫)という本のなかで指摘しています。日本の社会は競争によって生きる方法ばかりをつくってきた。でも、ヨーロッパやアメリカの労働組合はちがう。競争しないで生きていく方法、そういうベクトルを広げる努力をしてきた。自分たちが競争することは資本家に得をさせる道だ。たとえば荷物を運ぶ時にパレットの重量制限をする。そうでないと、たくさん背負える人間にたくさんお金をだすようにすればみんなが競争に走り、50になったら体力が衰えて、60になったら、もうあいつは役立たないとなる。そういう人間は給料が少なくていい、はやくやめろとなり、競争がどんどん展開して、結局病気になったり、年をとったら、働く資格なしという社会になります。だから、労働組合は、60歳でも普通に背負えるパレットの大きさをつくることで、みんながその時まで同じように運べるようにする。競争をもちこませない。
 今の日本でいえば、無制限のサービス残業をしなくても生きていける、パートやアルバイト労働になっても一般の労働と賃金格差がない状況を作らなければならない。たとえば一年間で普通に働いて400万の収入があるとすると、パートやアルバイトをやっても一年間やれば400万か500万の収入があるようにすれば、パートにするか正規雇用にするかは資本の側、会社が選ぶのではなしに、働く側がえらべばいいのです。そんなふうにして人間が平等に生きられる論理をくみこんでいくのです。これはまさに政治の論理であるわけです。最初に指摘したように、競争の論理、「競争によって生きる方法」ではなく、「政治によって生きる方法」なのです。
 そういう政治の論理はどのようにして生まれてくるかというと、実は人間と人間がつながりあって、人間がお互いに支えあう公共的な価値をつくりだしていくことができるということへの信頼が基礎にないといけないのです。学力競争だけを展開していくと、その中では公共性を自分たちで立ち上げることへの確信も見通しもうまれてきません。 その土台には、心のふるえを共感し、自分の本音をだしてもかまわないというコミュニケーションの空間を産みだし、今泉さんの展開しているような間違いを言ってもかまわない――いや間違いを言うということは自分の本音をだすことです。自分の考えている本当の思いをださないかぎり、自分の考えととりむということはありえないのです――民主主義空間を作り出すことから始めなければならないのです。
 民主主義的空間が形成され、価値観は多様で、異質なものが議論をしあって、なおかつその根底に人間というもっとも根元的な存在の尊厳を生きさせるための方法を議論の中から生み出してくることができるという公共的な討論、民主主義への信頼をつくりだすことを通して、政治という生き方をひきだし、育てていくことができるのだと思います。
 競争で生きる方法に対して、コミュニケーションと討論、民主主義、公共的な空間をつくり、政治というものを通して人間が生きていくような未来社会、人間の力量を形成していく。そのためには子どもたちが直面している矛盾を学校の学習の課題の中にとりいれていくことです。そのためには基礎的知識を機械的訓練によって、それで学習の点数を競う学習ではなしに、学習した知識を土台にしながらも、自分たちの課題をその授業空間の中で自由にだしあい、その中で提起されてくる課題が学習によって解くべきもっとも重要な課題であることを明確に位置づけ、意識化していくことが必要なのです。教師はそのために、子どもたちが抱えている課題を共感し、意識化という働きかけを通して、学習の課題にすえなおすことです。そういう学習を展開していくことで、生きることと学ぶことがつながっていきます。それは、みんなが人間としての本質を実現できるような社会の個性的で、人間としての平等が保障されるような社会システムの探求の一環を担う努力だと思います。こういう教育と社会の構想を、探求すべき時だと思います。
 話が抽象的になりましたが、12月はじめに『新自由主義と教育改革――教基法「改革」批判』という本を旬報社から出版します。そこでは単に教育基本法「改正」批判に止まらず、教育の公共性や住民自治、個性、統治能力の形成、ナショナリズム、などの問題で私なりに展開してみました。それも参考にしていただければと思います。以上で終わらせていただきます。

 

 

ここからは分科会の報告になります。4つの分科会をもちました。

 

第1分科会「子どもとつくる楽しい授業・・・かさこじぞう」          
                   報告・安藤 圭子(足立区立保木間小)
 
 持ち上がりの2年生の実践である。想像力豊かな子どもたちという紹介があった。

 1年生では、一文一文の行間に思ったことを書き込み発表するという一読総合法て゜物語を読み、学芸会では、場面の大事な事柄をつかむ学習をした。2年生になり、形式段落にわけたり、段落ごとにようやくすることと、場面を追って登場人物の気持ちを考える学習をしている。
 学習は次のようにすすめられた。
 まず、行間に書き込みができるワークシートを用意し、場面ごとに書き込みをさせた。5~10分ほど後に、一文ずつについて発表させた。そして「誰のがよかつたですか」と投げかけ、掲示用のワークシートに書き込んでいく。疑問が出されたところでは討論した。討論部分や教師が立ち止まらせた所は課題にして自分の考えを書かせ、印刷して読みあった。
 討論の様子は、詳細な授業記録で報告された。
 もちつも持たずに帰ったじいさまを、ばあさまが迎える場面では「いいことをしたから」という表面的な答えにと留まらず「なんでいやな顔をしないんだろう」「じいさまが金持ちであったとしても、地蔵さまは食べ物を持ってきただろうか」「じいさまは恩返しを気体していただろうか」といった話し合いに発展していく。子どもたちは想像をふくらませ、おおいに発言し、その中から大事と思う部分を先生が拾い上げ、また叙述に立ち返らせながら話し合いを深めている。
 「じいさまは、なぜ帰り道だけ地蔵様に気がついたのか」という疑問に対しては、子どもならではの想像力豊かな意見も出されていた。「教師が投げかけた課題より、子どものつぶやきからの課題の放がいい討論ができた。」そうだ。
 このように、子どもの書き込みから課題を見つけて討論することが、楽しい授業につながるという提案であった。
 質疑・討論では、提案の柱である、一人ひとりの子どもの疑問をみんなの課題にして授業を進めることについて、意見が多く出た。
 話し合いで明らかになったことは、子どもの発言を広い、紡いでいくことの大切さである。子どもの発言はすべて大事であり、無駄な発言など一つもない。たとえ荒れた発言でも子どもたちに返していけばよいのである。教師として子どもに伝えたいものは当然腹の底にあるが、それをすぐに感想などに結びつけようとすると、押しつけのつまらない授業になる。1時間でわからせようと焦らず、様々な学習の中で伝えていく、ということである。
 子どもの自由な発言と、それらをつなぎ、立ち返らせる教師が、豊かな学びの場に必要なのである。                                                         (桐生 孝文・記)

 

 

第2分科会「不登校・引きこもりの子どもの為の居場所から学びつくり」       報告・佐藤真一郎・浅野由佳
        (NPO文化学習共同ネットワーク・フリースペースコスモ)

 フリースペースコスモの方々からのレポートでした。小学生から40歳の大人までが不登校・ひきこもりの悩み・苦しさに直面しています・・・・。(という現実は私にとっても深刻でした。私自身小学校5年生の担任として、この2学期から不登校の女の子を担任しているからです。自分自身担任してきて初めて不登校の子どもをつくってしまいました。そして、今に至るも、その原因をつかめないでいるのですから・・・)
 コスモがめざしている「力」として①自分を受け入れる力(自己肯定力)②他者と交わる力(関係形成力)③「なりたい自分」がわかる力(自己実現力)の3つが紹介されました。そして、それはコスモの日常の中で実体化していることが短い時間の中でも説得力のあるレポートでした。
○閉じた身体、身体も心も閉ざす子どもたちとの関わり合いの実践は少しも飾らない報 告で、とても好感がもてました。まさに身体をはったぶつかりあい・・・・報告者自 身のうまくすすまない悩み・つらさを率直に方ってくれました。
○他者とかかわりたいのに関われない小学4年生ダイチくんと、コスモの冒険旅行(利 尻島へのキャンプ)のとりくみは感動的でした。「うっせー!死ね!」「やんのか?コ ラッ!」・・・なんでも「やだ!」のダイチくんが表現と言葉によって他者とのつな がりを獲得していく様はすばらしいなぁと思いました。
*コスモの冒険旅行は四万十川の河口まで家財・荷物を持って冒険したり・・・等、  魅力的な企画ですが、さぞスタッフの方々にとっては一大イベントなんだろうと思  います。
○最後に「不登校、その後」への試みが報告されました。フリーター問題とポスト不登 校・引きこもり問題の同時代性のこと、「居場所から就労へ」のつなぎとなるステッ プの場・・・コミュニティーベーカリーの構想にはとても共感しました。
                                                       (市川 良・記)

 

 

第3分科会・ワークショップ「憲法で平和をつくる」
                    報告・笠井 英彦 (静岡市立東中)

 中学校教師の笠井英彦さんは「子どもたちを世界とつなぐ」ことを自身の授業づくりの視点にあげるとともに、むずかしいことを「楽しく、やさしく」学ぶための工夫のひとつとして「憲法のアニマシオン」を紹介してくれた。
 ワークショップは「間違いはどこ?(ダイトを探せ)」からはじまった。日本国憲法前文の一節と比べて「日本国民は正しく選ばれた国会における代表者・・・」の文章とはどう違うかを参加者で探したが「何気なく読んでいるだけで、結構むずかしいな」という感想もだされた。そのほかにも憲法上の人権を規定した条文のカードを使ったいくつかのアニマシオンで楽しんだ。もちろんこれは授業の中でも実際に使われるが、このことによって、憲法を暗記することが目的ではない。そうではなくて、身近な問題がじつは憲法と深くかかわっていることを知るとともに、憲法を知ることを通して、社会(世界)にかかわる糸口を子ども自身が発見していく手助けをするという意図のもとに展開されている。笠井実践のひとつの特徴は、教師が憲法の精神を子どもたちに伝えたいという熱い思いに支えられているが、もうひとつの特徴は決して、それを教え込むのではなく、子どもたちが楽しみながら、そして子どもたちが自分自身の頭で考え、体で感じる自由を保障していることのように思う。教師はたくさんの素材を提供しつつも、子どもがそれを批判的に読み解くという、いわばメディア・リテラシーの発想も含んだ実践スタイルは、社会科の学習だけでなくあらゆる教科「総合」の学習の中でも追求される必要があるように思う。 (佐藤 隆・記)

 

 

第4分科会・
「子どもの心に届く平和の学びを~授業・行事・学校生活を通して~」
                    報告・佐藤 博(板橋区立志村一中)

 今の社会は子どもを嫌っている。子ども本来の愛すべき者として、とらえられなくなっている。合唱コンが大変、ニワトリ合唱団、並ぶことから大変、そこだけ見ていると腹が立ってくる。でも、そんな子どもたちでも子どもたちが歌っている歌の作曲者に来てもらって、どんな気持ちで歌を作ったか話してもらって皆が聞いた。その後の歌はそれまでとぜんぜん違った。未成熟な子どもたちだから、たくさんの体験の中から、平和の文化を作り出したい。
 長崎の少年事件が起きた時に、全国のどこの学校でも「命の尊さ」ということについて話があったと思うけれど、そういう話が子どもの心に染みてはいっていくか? 生きていて楽しいか? 自分の将来を大事だと思っていない子どもに、命の大切さなんて言ってみても、子どもはそのことに共感しない。長崎の少年は高「学力」だった、学力の質を問うことなしには、マスコミに負けっ放し。
 遊びの中で、まじめな子どもやちょっととろい子がやられてしまう。そういう時にやられている子どもはどういう思いかということを皆に話をすると、一生懸命聞いている。ところが、その後すぐにまた同じようなことが起きる。一人ひとりの心の中に他者がいない。一人ひとり呼んで話をして、やっと少し変わる。
 ・・・という現場の現状の語りから始まって、学校の中に平和の力を作るために学級活動で、授業で、行事で、職員室にも、どう働きかけているかということの一端を話してくださいました。前回の汐見講演で話された「友愛の精神で生きること」佐貫先生の「たたかいの方法としての平和」ということにも触れられました。参加と表現を武器に争い抜いていいものを作りだしていくしなやかな強さが今こそ必要で、そういう実践をどうつくっているかという実践報告だったと思います。だから、授業では討論を重視し、行事では人間讃歌の文化を自ら作り出し、やったという輝きを体験させ、結構やるジャンという場面を大人たちが目にしていくことから、子どもを憎まないですむ世界を広げていく。もっともっと話を聞いていたい報告でした。
                                                     (荻野 佳津子・記)