第18回集会


講演:「私の声を発し、自由な実践をつくる
~子ども、親、同僚に語り続けた「らぶれたあ」~
霜村三二さん(埼玉・朝霞十小)

 

 

 教育現場のさまざまな困難の中で希望を語らなければなりません。きのう(1月22日)まで3日間、インフルエンザで学級閉鎖になっていました。今日の準備をその中でおこないました。

 休みになる前日の火曜日、クレスコ編集部の方が学校に写真を撮りにきました。校門のところで3年生が「さんちゃん、どうしたの?」と声をかけてきました。編集部の方はこの呼び方に驚いたようです。教室でも子どもたちは「さんちゃん」と言います。僕はこれでいいと思います。子どもが自然に呼んでいる声の中に、僕と子どもたちの関係があらわれています。

 32年間の教師生活になりますが、最後の一年になります。幸せな一年をすごしながらこれから2ケ月をすごしたいと思います。私はこの学びをつくる会に第8回集会から参加しています。ずっと朝霞の中ですごし、らぶれたあ、という学級通信を出し続けてきました。

 ここで授業の様子を知ってもらいたいので、詩を皆さんといっしょに読みたいと思います。あらいたけこさんという坂戸の聾学校の先生の「あいうえお」という作品です。子どもたちが先生をみつめています。先生と向かい合って学びをつくっていきます。教師と子どものつむぎあいで学びがすすみます。今はこの間に外からいろいろなことがはいってきてしまっています。何を、どう、学んでいくかを考えたいと思います。

   ・・・ここで霜村さんと参加者で、この詩を声を出して読み合いました。・・・

 教師はまじめな人が多いです。しかし、ちょっと離れてみることも必要です。子どもは真面目な話より、面白い話が好きです。学校には真面目な人はたくさんいますが、学校全体としてはそうでもありません。

 始業式の話です。箱根駅伝で東洋大の選手はすばらしい、などと話をしますが、校長先生がすごいという話しをすればいいと思います。人のことを言うのではなく、自分のことを言えばいいのです。

 言葉というのはもともと音です。表現のひとつです。もうひとつやります。谷川俊太郎さんの「いいこ」です。

  ・・・ここで霜村さんはウッドブロックをとりだし、リズムをとりながら、この詩をやはり参加者で読み合いました。・・・

  この詩を読むと笑ってしまいます。教師像もこれに近いのです。

 

 教室は人間関係を学ぶところです。保護者の視線を感じながら、手職人のような作業をしています。マニュアルを日々こなしていくのでない毎日をつくりだしていきます。「忙しさ」の中に自分の基軸をつくりだしていかなければなりません。子どもたちをかわいいと思い、この子どもたちをのばしていこうということです。今やっていることは何のためなのか、をいつも考えていきます。自由を尊ぶということです。

 自由を尊ぶというのは勝手気ままにやる、ということではありません。子どもに多くのことをのぞむのではなく、自分がまず求めたいことは何かから始めます。それが、私の声を発するということです。それを保護者がうけとめ、自由の地平を広げるということです。基本は子どもの事実をどう記すかです。子どもといっしょにつくる、ことです。このことをどうみるかということですが、客観的ではありえません。主観的な思いを記す、どう受け止めているか、を記します。学級通信の読み手は親です。週時程など親には必要ありません。今説明責任などといって、学級通信には余計なことは書くな、苦情に対応できない、など自己評価の延長線上のことがまかり通っています。何事も評価という中でしばられています。そこからちょっと離れて自由に発することが大切です。クラスの中のハプニング、おこったことがらなどを伝えていきます。

 2年生の9月に父親から内容証明の手紙をもらいました。「運動会の練習時間の設定の合理性は?」「ダンス固有の価値は?」などというものでした。返事は子どもへの私の思いを綴るということで、長い文章をその日のうちに書きました。これへの返答はありません。後でわかりましたが、1年生の時の指導から学校不信があったのでした。親も子どもをかわいいと思っています。学年末にこの父親とも花見会の三次会まで交流できました。

 

 わたる君のことです。他の子とのトラブルが多い子です。「はきはき」という詩を読みました。みのむしせつこ・・みのむしのせつこが、あそびにきたとんぼに誘われると「隠れてしまう」という話です。あしたははきはき返事ができますように・・、と結ばれています。学級通信「らぶれたあ」には“元気者の佐々木君に読んでもらいました。「いつものワタルくんじゃなくてね、せつこさんだよ」”と。佐々木君がみのむしせつこになろうとして、声のトーンを押さえ、小さめの声で読みました。詩の読みを通して他者になりきる、それを感じた一瞬です。また、お母さんによる読み聞かせの日に佐々木くんのお母さんが来ました。佐々木さんは歌のボランティアをあちこちでやっている方です。「本格的な歌のさわりを聞かせていただけませんか」とお願いしました。子どもたちは集中して聞いていましたが、一番嬉しそうだったのは佐々木くんでした。この佐々木くんのお母さんから年度末に「らぶれたあ」がきました。・・・ 学校は子どもだけの世界で、親の知るところではないところ、とあきらめていた昨年の一年生に比べ、また「親もかかわっても良いんだ~」と嬉しさを感じさせていただきました。・・たかが紙一枚、されど「たくさんの先生の思いや事件の詳細や子どもたちの思いとやりとりのつまった」紙。そう認識してからは、おそまきながら、一生懸命L・Lを書かせていただきました。・・・ 

 モンスターなどとも言われますが、親が「自分の子どもはかわいい」のは当たり前です。教師は30人以上の子どもにたいしています。語り続けるなかでクロスしていきます。他の子どものことも見えてきます。どの子もかわいい、と思うようになるのです。たくさんのエピソードを伝えていきたいと思います。

 

 ユキヒロを3年生で担任しました。一年も二年も欠席が多くありました。母親は不安定で、兄は中学3年生ですが、中学には一回も行かず、家でゴロゴロしています。体型も僕に似ていて「親子」などといわれます。そのユキヒロが休まなくなりました。1・2年の時はタマに学校に来るとトラブルをおこします。まわりの子どもはユキヒロとかかわりを持たないようになっていきました。家庭訪問の時にききました。「なぜ学校に来るようになったのか」「先生が面白いからです」と言われました。

 そのユキヒロは9月になってもクラスの子どもの名前を間違えました。保育園の時に一緒だった3人しか顔と名前が一致しません。そこには存在しているのに、まったくの他人なのです。これはその教室の問題です。他者を身体の中にいれていく必要があります。このユキヒロくんはひらがなは書けない、ドリルはつまらないと言っていますが、生き物の生態、動物のことはとてもくわしいのです。家に長くいるので、ずっとテレビをみていて、教育テレビなどをみています。「    」おっ!! おっ!! おっ!!  おっ!!この詩の題は「とかげ」ですが、ユキヒロはとかげについていっぱい話をしました。それをクラスの子どもは聞いています。

 印刷室で「らぶれたあ」を印刷していると、ユキヒロが脇にいつのまにか立っていました。「ユキヒロ君、ワタシみたいにやせなさい」「イヤですよ。どこがやせているんですか」「この頃、ちっとお休みしなくなったけど、どうしてなの?」「学校が楽しいからですヨ」。印刷室からでていく彼の言葉をかみしめていました。このユキヒロがていねいな宿題をやってきました。文字一つひとつに気持ちがこもっているようなものでした。

 

 大学生の時、自分が見えず、ブラブラしていた時期がありました。一年の時、自殺を考えた時もあります。思いとどまったのは、まわりにいる友だち、家族のことが浮かんだからです。クラスのみんながいるとうれしい、という気持ちが大切だと思います。セキスイの工場見学をしました。工場の見学をしても、働く人の姿がなかなかみえません。家の人の労働の実態もわからないのです。仕事ってなぁに、ということを考えました。大工のお父さんのことを知っていきます。

 

 他者が自分の中にはいる、ということにもう少しふれます。マイコプラズマ肺炎で入院していた山口くんにクラスのみんなで手紙を書きました。碧ちゃんの手紙はクラスのさりげないエピソードを書きながら、山口くんのことを受け止めています。次の日は終業式ということでしたが、山口くんは今日も来ません。最後に「さようなら」と言ったら、廊下に山口くんがおかあさんと立っていました。感動的な場面でした。

 

 学級通信「らぶれたあ」は自分のいる場所です。現場には自由と管理があります。どこかに自由があります。どんなに管理が厳しいとしてもです。自由と管理はまだら模様です。保護者の方の共感を得られるようにしています。タテマエでは共感してもらえません。上から目線やタテマエではだめです。保護者は先生の言葉を待っています。自由の地平を広げることです。親たちが言えば簡単にはつぶされません。朝霞という地域の仲間もいます。自分の存在でなければ・・・、自分に何ができるか・・教師である前に人間です。 霜村三二という人間の一面をいろいろな場面で出しています。教室の中だけで声を発しているのではありません。

 

 

 


分科会


第1分科会 学力・授業 
 

 

    ワークショップ「ペットボトルの水から広がる世界」  本山明先生

 本山先生の報告では,豊富な教材研究に基づく様々な資料や教具を示していただいた。クイズを通して人と水の関わり方に迫ったり,水のテイスティングをして飲料水について考えたり,1枚の写真から話し合いで事実を発見していくなど,水の情報を学ぶことができた。水に関する写真を読み解く活動では,参加者も授業の一部を体験しながら活発に議論が行われた。今まで知らなかった事実に驚きながら,授業化する際のアイディアをたくさん得ることができたようだった。その後の話し合いでは,「水のテイスティングや身近なクイズを使うことで,小学生でも地球規模の環境問題を持って感じることができる。」「水という素材は学年や教科を超えた広がりを持っている。」「日常を数値で表すことで見直すことができる。」等の感想が出た。

 コメンテーターの渡辺先生からは,本山先生の豊富な提案を基に,子ども達に伝えたい価値を見定め,学級の子ども達が必要を感じる学びをつくっていくことが一番大切だという話をいただいた。様々な広がりを持つ「水」という教材を,単なる「節水」の授業に終わらせずに,次のステップにつなげることを考えるきっかけとなるワークショップだった。

 

 「頑張らないように頑張るための教師の視点で実践を考える~つながりを模索しながら~」  増田陽先生

  増田先生からは,物語文・漢字学習・体育の実践から,子ども同士のつながりを大切にした授業づくりの報告があった。学級だよりに描かれている授業の様子からは,子ども達の発言やイメージを丁寧に取り上げている先生の姿勢が伝わった。コミュニケーションが不得意で,学級にもなじめずにいた女の子が,体育のタッチボールの授業を通じ,仲間と独自のパスの方法を作り上げていったこと,その課程で少しずつ仲間としての関わりが生まれていった様子は,授業を通じてつながりをつくる様子を具体的に伺うことができた。

渡辺先生からは,協同的な授業をつくる上で参考になるこの実践報告を,自分のやりたいことや目の前の子どもの学びたいこととどうつなげていくかが大切だという話をしていただいた。

 

 最後に2つの報告の共通点として,共同的な学びのプロセスを大切にしているという感想が参加者からあった。どちらの報告も,「どのように学ぶか」「だれと学ぶか」を大切にしていた。単なる知識の獲得だけではない,仲間と関わり合いながら学ぶための方法が紹介され,参加者同士もそれについてともに学び合うことができた分科会となった。                 (文責・板橋 奈穂)



 

 

 


第2分科会 こども理解 
~教師の挫折と再生~
 

 

 

 「語り合いながら子ども理解を深めていきたい」という司会の呼びかけを受け、子どもの姿や今抱えている問題を語る参加者の自己紹介から、分科会がはじまった。若い教師、ベテラン教師、退職した教師、学生、研究者、大学院生などが集った。生活と育ちに困難を抱えた子どものエピソードや攻撃的な姿を見せる場面などが語られ、また子どもとの関わりが生まれた喜びや子どものおもしろさに出会った場面も語られた。

 

 一人目の報告者である小学校の養護教諭の杉田京子さんは、「保健室は子どもを通して社会が見えるところ」という。子どもの健康や衛生、成長の面での困難を事例から紹介され、社会における貧困や労働の問題が反映して子どもの姿が現われてきている現状を指摘された。そして、個々の教師ではなく学校として問題に対応する必要があり、それぞれが抱える悩みを語り合える職員室をつくることが大切であると話された。また、困難を抱える子どもの事柄をめぐって、保護者といかに関係をつないでいけるかが課題だと話された。

 

 二つ目の報告は、若い教師からであった。困難を抱える子どもと出会い、その子を、他の子どもたちと大人たちの関わりの中で受け止めることに格闘してきた経験を話された。また、教師と子どもの間の信頼を大切に、子どもたちが互いに支えあう教室づくりをしてきた経験を話された。そして、自身も子どもも大変だが、これからも前向きに過ごしていきたい、子どもたちの歩幅と視線を忘れずに一緒に過ごしていきたいと話された。

 

 

 分科会の議論では、子どもの生きている困難な状況が様々に出され、子どもたちの傷つきや危うさにどのようなまなざしを向けていくかが探られた。特に、今日の子どもたちの攻撃性をめぐっては、それが生得的な問題・発達上の課題なのか、社会的・環境的な問題なのかという問いが出された。これに関しては、いずれなのかを見極めることの大事さと、しかしレッテルを貼ることで生じる問題、また当の子どもに対する保護者の気持ちに寄り添う必要性が指摘された。さらに、どのような教室・学校か、そこがその子どもにとって居場所かどうかといったことに、子どものどのような状況が強く出てくるかが関わっており、現われ方は複合的なのではないかとも話しあわれた。

 

そして、教師は家庭に直接何かをすることはできないが、子どもへの暖かなまなざし、生きる希望や楽しさ、学校での仲間との関係、生きていく知識や自信といったものを差し出していくことができるのではないかと話しあわれた。

 

コメンテーターの佐藤隆さんは、傷つき、他者とのつながりや未来への展望をあきらめている子どもたちの語りを聴き取ることが、教師にとって重要ではないかと指摘された。その営みは、子どもの困難を引き受けざるえないため、容易ではない。しかし、存在を認めていることを子どもに伝えることが大事であること、その際、教師が自らの弱さや揺らぎを大切にして自らも語ること、それが受け止められることが大事であり、そうした場所や関係に重要な意味があると話された。                       (文責・大日方真史)


 

ハイチ地震被災者への募金

                                                                 

 中米カリブ海のハイチで大地震があり、10万人以上の犠牲者がでていることはご存じのことと思います。

 学びをつくる会世話人の坂井ゆりかさんは昨年7月からハイチ島のドミニカ共和国に青年海外協力隊の仕事で赴任しています。ハイチで地震がおこった1月12日に、坂井さんのところでも大きな揺れがあったそうです。ハイチの首都のポルトオープランスは坂井さんのいるドミニカ共和国に隣接していて、刻々と情報がはいってきます。

 坂井さんのブログは「学びをつくる会」のホームページからはいることができます。ぜひごらんください。

  1月23日の集会の時、このことを紹介し、ハイチ地震被災者への募金をつのりました。

多くの方からの善意が集まり、28,128円となりました。本来直接被災者に渡すことが可能ならば、それが最善ですが、ハイチの治安状況などを考えてユニセフを通じて送金することにしました。